初めましてからの日々
なんとまぁ、間の抜けた曲者がおったものよ。
それが、初めてアレを見たときのわれの感想だった。
見たこともない着物をまとい、足をさらけ出した女。
これを曲者と言わずしてなんと言うか。
気配は隠す気もないのか、やれ、何をしにきやったのだ、と。
きょとりとあどけない顔で首を傾げた女に迷いなく数珠を放てば、女をすり抜けてその先の茂みへと数珠が飛び、そのついで…ほんに潜んで折ったらしい忍びに直撃した。
「……はて」
此度はわれが首を傾げる。
今、女がいたような気がしたのは、気のせいであったか。
ついにわれは目までもイカれたか。
いや、まずはこれがどこぞより来たかを探るが先か。
「刑部!!」
音を聞きつけた三成が飛ぶようにやってきて、地に伏した間者を見るや否や切りかかろうとするのを制す。
「殺すな、われはそれに用がある」
不満げな視線を寄越すも、三成は好きにしろ、とだけ言い残し、その場を後にした。
噛みつけるものがあればあるだけ構わず噛みつく癖を何とかしたいところだ。
いや、それが戦場では利となるわけだが。
全くもって愉快な男よ。
そうして幾日経った後、アレは再度現れた。
熱にうなされるわれの枕に立ちやったのだ。
前の姿とは違う、甚平姿のそれは確かにあの時の女だった。
「…怨霊か」
呟いた声に、
「失敬な」
憮然とした声が返ってきた。
絞るのも億劫で濡らしたまま乗せた手拭がそっと取り払われる。
物に触れられるのか、とぼんやり思う。
「なにこれ」
桶に突っ込まれ、絞られ、適度に湿り気を帯びた手拭が額に置かれた。
「逆に悪化するわ」
これは、世話を、焼かれているのか。
瞳を閉じて、開ける。
確かに女はそこにいた。
なぜ触れる?なぜわれの世話など焼く。何が目的だ。怨霊でなければなにか。
問いただしたいことは山ほど出てくる。
しかしその術がない。
この女は数珠をすり抜け、呪いを纏わすことも叶わず、あの男流に言えば、従属させる手立てがない。
「なんでそんな不思議そうな顔してんの?」
「恐れぬ、のか」
問えば首を傾げた後、
「病人が何言ってんの、あと主語がない減点」
と、呆れたように言い放った。
げん、てん?われなど恐れるに足りぬ、ということか。
しばらく首を傾げたままの女であったが、少しして、ああ、と一人頷く。
「風邪ひくとひと肌寂しくなるって言うけど、手でも握っててあげようか?」
「は?」
言うなり、掛布団の上に放ってあった包帯だらけのわれの手を取る。
いったいどんな思考でそうなった。
しばらく呆けていれば、荒々しい足音が聞こえ、障子が勢いよく開いた。
このような開け方をする者は一人しかおらぬ。
そやつは入ってくるなり振り返ろうとしていた女を切り捨てた。
当然、血飛沫を上げ倒れる……わけもなく、女はゆらりと消え去った。消えたのだ。あの時と同じように。
…仮にも、病人の横にいる人間を即座に斬るというのはどういう了見なのか。いや、問うまい、こういう男よ。
「…刑部、今、ここに何がいた」
「さて、はて、なんであろうなァ」
「とぼけるな」
「それを聞きだそうとする前にぬしが斬ったのよ」
さて、この男をどうやれば追い出せるか…。
体を起こせば眩暈を覚え、頭を押さえる。まったく、ゆるり休みたいというに。
やれ、熱のある時に思考を巡らせるものではないな。
舌打ちが振ってきて、肩を押されてそのまま布団に戻される。
手際よく布団を整え、手拭を絞り直しわれの頭に乗せ、
「…よく休め」
表情の動かぬままそれだけ告げて部屋を後にした。
次の日、いつもは長引いて寝込む熱が不思議と引いており、首を傾げる羽目になった。
それからアレは時折われの前に姿を現した。
杖をついて廊下を歩いているときであったり、輿に乗って戦場に出ている折であったり、執務の最中であったり、寝込んだ時など、出没の条件はとんとわからぬ。
消える際もそうだ。数珠を投げつけたり、三成に斬られたり、攻撃を加えればいなくなるのかと思いきや放し置けばいつの間にやらいなくなったり。
ただひとつだけ。
「…アレは、幸運か、いや吉か、ツキか?」
不思議と、アレが現れた後、われに都合が良く事態が回る。
忍を見つけたり、伏兵を見つけたり、謀り事への色よい返事がきやったり、病が回復に向かったり。
不運の代名詞であるあの穴熊につけたらどちらの運気が上回ることやら。
そう思って次に現れた際に並べてみたのだが。
「おい、小生に何の用だ」
不審な女を横に置き、まるで見えておらぬかのように振る舞う黒田。
いや、
「、見えぬのか、なるほどナルホド」
呟くように言葉にすれば、どちらも似たような顔を作る。
「いや、一応今、姿消してるつもりなんだけど…見えてるあんたがすごいよ」
「はぁああ?なんだお前さんついに目もいかれたか?」
アレが幸運なれば、不運な黒田に見えぬのもわからなくもない。
女がため息をつき、黒田をすり抜けて、そう文字通りすり抜けた。
女の姿が重なった瞬間に合わせて黒田が身震いし、女は再度ため息をついてわれの輿に腰を下ろした。重さはない。
「な、なんだぁ?」
「今は姿見せてるつもりなんだけど、にっぶい人だなぁ」
「ヒヒッ」
「刑部、お前さん今何をした」
「幸の薄きこと、まこと感嘆の域よ」
喉を鳴らし上機嫌に笑うわれに黒田が突っかかる。
ちょうどその折にスタン、と勢いよく障子が開き、凶王様が現れた。
やれ、不幸よ、不運よ、ヒヒヒッ。
「ぎょう……官兵衛、貴様何をしている」
「げ、三成!」
「邪魔だ、失せろ!」
刀を振り回され、逃げるように部屋を出る黒田をひとしきり笑う。
やれ、愉快ユカイ。
その笑いは、
「……いしだ、せんせい?」
呆然とした隣の女の呟き声で止まる。
すとり、輿から降りて三成に近づく。
三成の眉が寄った。
「先生より若いし、細いや」
「…、刑部、今そこに何かいるか」
疑問ではなく確信を持った声。
姿は消した、が気配は察したか。
首を傾げて見上げる女と、何もないであろう空間を睨みつける三成。
いしだせんせい、とな。誰ぞかに似ていると。しかも、三成の姓と同じ名とは。
さて、己の疑問を解消しようか、三成の疑問を解消しようか。
「まァ、ぬしが先日斬ろうとしたあやかしがな、ぬしの傍におる。
やれ、なんぞ知り合いにでも似ておったか?」
「うん、でも別の人かな。石田先生も怖いけど、こんな無節操じゃないし」
結局どちらも解消することにした。
三成は我の言葉を聞いて刀の唾を押し上げ、女はそれを見て答えながらわれの傍まで帰ってきた。
そしてわれの横を通り過ぎ、まるでわれを盾にするかのように後ろに回り込んだ。
「これなら見える、かも」
こそり、われの背から顔をのぞかせる女を視界に捉えたのか、三成の睨みがきつくなる。
「…われには常に見えるゆえ、そう変わらぬがなァ?」
「そんなん知らんよー」
「そこから出てこい叩き斬ってやる」
「やだ。斬ると言われて誰が出るか。もう帰る」
言うなり、空気に溶けるように女は掻き消えた。
「…やれ、機嫌を損ねたか。凶と転ばねば良いが」
まぁ叩き斬ったり数珠をけしかけたりしたこともあるゆえ、そう気にすることもないか。
女の消えた虚空を見やる。気配さえもうない。ヒヒッ、さて、次はどんな吉が舞い降りるやら。
三成も気配で察したか、押し上げていた唾を戻した。
「刑部、次の戦だ」
「まァそう急くな、すべては順調よ」
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2014.01.08