舞台袖の男
初めは得体のしれない気配だった。
秀吉様の城である大阪城で不審な気配があれば見つけ次第斬滅だ。
女の姿で現れるソレはやたらと刑部の周りを徘徊する。
床に臥せたと聞けば見舞いに行く男の元に、必ずと言っていいほど寄り添うソレ。
ソレが刑部の世話を焼いている、と知ったのは遭遇してから何度かを数えるのを億劫になる程度の時間が経過したころ、刑部が私に告げたからだ。
気づく、余裕がなかったのだ。その当時は。
言い訳と言われても仕方がない。そう、あのときの私には余裕がなかった。
ソレが現れるまで、刑部の額に乗っていたのは濡れたまま絞られることのない手拭いであったり、正されることのないまま放られた掛け布団であったり、変えられぬまま日々を過ぎる包帯があった。
ソレが現れるようになってから、刑部の額には適度に冷気を保った手拭いが宛がわれ、掛け布団はきちりと掛けられ、包帯も変えられていた。
言われて気付く、知らされて気付く。
私は、あれから何も成長していない、というのだろうか。
晩年、刑部は寝込むことが多くなった。
関ヶ原の戦を終え、東軍に属したものたちへ処罰を言い渡し、それからだ。
糸が切れたようにふつり、倒れた。
床を見舞う中、顔を見せればぼうと宙を眺めたままのことが多かった。
何度かその様子を見て、それから気づいた。
探しているのだ、アレを。
刑部のそばにいた、不可思議な存在を。
あの決戦の最中、刑部の伸ばした手の先から消えるようにしていなくなったあやかしを。
いつも、床に臥せったときに現れ、頼まずとも面倒を見た、あの女を。
「刑部、」
声をかければ、ようやくとその瞳がこちらを向いた。
「やれ、天下人様がこんなところまで足を運ぶとは、よほど政務が捗っていると見える」
にぃ、と笑みをかたどるその顔に生気は薄い。
枕元に座し、手拭いを絞り直して額にのせる。
見回しても、あの気配はない。
「…アレはいないのか」
「われをぬしの上に叩き落として以降見ぬ」
目が遠くを見て、やはり、アレの姿を探していた。
もはや、ほとんど物を映さないのだと聞いた。
仕事は譲れるものから譲り、どうしても判断を仰がねばわからぬものしか刑部の元へ届かない。確実に、いなくなる支度を済ませていく友を、私は見送るしかできない。
「…よく休め、貴様にはまだまだ働いてもらう」
「あいあい、わかっておるわ」
そう答えたものの、ついぞ、刑部の容態が上向くことはなくなった。
その数日後、眠るように亡くなった、と小姓は言った。
葬式の手はずを済ませ、手を合わせるものが少ない中、定期連絡でやって来た猿飛が連絡ついでに聞いてきた。
「あー、あのさ、大谷の旦那ってくの一使ってたっけ?」
「知らん」
策は全て刑部に一任していた。
刑部が何をもって策をなしたのか、忍を使ったか兵を使ったか事細かな詳細は私の元へと下りてきていない。
しかし、猿飛の言葉に引っ掛かりを覚えた。
「なぜだ」
いつもは理由を問うことなどしなかったためか、忍の眉が僅かに上がる。
「手でも合わせようかと思ったら先客がいてね、甚平だったから女中じゃないと、」
甚平姿の女。
聞いた瞬間刀も持たずに飛び出した。
「ちょ、石田の旦那!?」
アレだ。
あの女だ。
今更すごすごやって来て一体何のつもりだ。まさか刑部の亡骸を連れていくなどと……、それだけは許さん、許可しない、許してなるものか。
すぱん、障子を開け放った先に、予想通りあの女がいた。刑部の頬に触れたままに、こちらを見る。
久方ぶりの全力疾走に上がった息を整える。
「珍しく、斬りかかってこないんだ?」
馬鹿にしたように笑う女を睨み付ける。
「何をしに来た」
女は答えない。
「刑部は待っていた、あれからずっと!
だというのに、貴様は現れなかった!
いまさら何をしに来たと聞いている!!」
吠える私には目もくれず、刑部にそっと語りかけた。
「そっか、だいぶ待たせちゃったのか…」
ぽつりと、言の葉を落とす。
「ごめんね、待っててくれて、ありがとう」
女が発する声の中で、聞いたこともないような優しい声音だった。思わずはっとして女の顔を見る。
「来世で幸せにするから、許してよ」
刑部を撫でる手。
刑部を救った手。
刑部が、求めていた、手。
「その言葉に嘘偽りはないな」
唸るように尋ねる。
違えれば、何があろうと斬滅してくれる。
私の言葉に、あやかしは笑みで返した。
「約束する、絶対、幸せにする」
言ったあと、視線が宙を捉える。
同じように視線を追ったが何もない。
ふ、と笑みをこぼして、女はまた私を見た。
「また、ね」
言って、女は溶けるように消えた。
息を飲む音が背後から聞こえ、ようやくと猿飛がいたことに気づく。
「旦那、今のって……」
「……刑部の、」
あれは、刑部のなんだろうか。
所有しているわけでもない。情人というわけでもない。あれは、ただそこにあり、損得なしにただ語らい、ただ刑部に寄り添い、支え、救った。
まるで、刑部が私にしたように。
「友、だ」
おそらく、私の知り得る語彙の中ではそれだ。
来世で。必ず刑部を幸せにしろ。約束を違えることは許さない。
友の幸せのためならば。
私は、この太平の世を未来永劫続くよき世にしてみせる。
「……てっきり、教師を目指すかと思ったが…なるほど、その悟性、変わりはないようだな」
「なぁに、悪足掻きよ」
就職先を聞いて、友の変わらずに安堵する。
学生服の卸業者。
確かに教師では時間に拘束がある。
あやかしの着ていた制服だけが唯一の手がかりならば、その大本を掌握する考えなのだろう。
「出所を突き止めたならば、私に言え、そこに移れるよう努力しよう」
「ぬし、もしやそのために教員免許をったとは言うまいな?われの自己満足に付き合わずともよいと言うに」
「以前、自己満足に付き合わせたのは私だ。貴様は私に不義理を通せと言うのか」
「頑固は変わらぬな」
だが、感謝する。そう言って刑部は笑った。
今生、生まれ落ちた先では健やかな体に恵まれ、大きな病にもかからず、平穏に生き……私たちは中学の頃に再会した。
ちょうど、以前出会ったときと同じ年のころだ。高校、大学と同じ学舎に通い、ちらほらと同じように転生したものにも出会い、だが、あのあやかしには今だ遭遇していない。
「諦めることは私が許さん」
アレは確かに誓ったのだ。
来世において刑部を幸せにすると。
「われより意固地になってどうする」
息巻く私に刑部は呆れた顔を向けた。
刑部から、アレが着ていた制服と同じものを見つけた、と連絡が入ったのはそれから数年を数えた頃だった。
さすが刑部だ。全国に無数に広がる高校からひとつを見つける途方もない作業をきちりとこなす。
学校名を聞き、手続きに少々手を焼き、その高校に移った旨を報告した私に飛び込んできたのは、刑部が衝突事故に巻き込まれ意識不明の重体に陥った、という連絡だった。
全身に冷や水をかぶったようだった。
駆けつけた病室には、生命を繋ぎ止めるための機械に囲まれ、あの頃のように全身をおおった包帯姿の物言わぬ刑部だった。
「なぜ、なぜだ刑部、なぜ、貴様が」
なぜ、このような目に遭わなくてはいけない。
「刑部…」
物言わぬ、友の傍らに立ち、友の名を呼ぶ。
機械が一定の間隔で友が鼓動を知らせているが、一向に目覚める気配などない。
刑部、今一度、ソレが現れれば、貴様は目を覚ますか。
『来世で幸せにするから、許してね』
そう、約束を残したアレを見つけられたら、貴様は目を覚ますか。
答えはない。
確約もない。
だが、あの時、義のため、私のためと奔走した貴様に代わり、今度は私が。
義のため、貴様のために、何としてでも連れてこよう。
違えることは許されない。
これは私が私に課した咎だ。
どこかで、見たことがある。
少しアレに似ている。
頭が不出来な女子生徒を前に、私は妙な感覚を得ていた。
いや、まさか、と思いながらもこの妙な感覚を拭い切れない。
ひとまず、手にした教科書を垂直に落とす。
「いだっ」
昼休みを過ぎて、私が教室に入ってきたというのに、教科書もノートも出さずに居眠りとはいい度胸だ。
「いつまで寝ている」
憐れむ目が女子生徒に集まり、その女子生徒からは恨めし気な目が私に向けられるが、口は従順に「すみません」と謝罪を紡ぐ。
…アレは、こんなに殊勝ではなかった。やはり気のせいか。
ふん、と鼻を鳴らして教壇に立った。
。
アレに似た女子生徒の名前だ。
家族構成は父、母、兄、本人の四人家族。いたって平凡だ。
しかし、あれは人外だったはずだ。
でなければ私の刀で滅せないわけがない。
アレと言葉を交わしたことなど片手で足りるほどだ。
くそ、こうなるならもっと情報を吐かせて置けばよかったものを…。
過去の己の無能さが歯痒い。
続きの情報を確かめる。
成績は総合的に見れば良くも悪くもない。が、数学は最悪だ。
つい先日赤点生徒のための補講とやらを開かねばならず、これは私が教えるクラスの中での唯一の出席者だった。
思い返しても腹立たしい。
「私の授業を受けていてこんな点数を取るなど馬鹿か?
授業で何を聞いていたこの愚図が」
責め立てれば、泣く寸前の表情を見せる。
これだから女は。
内心舌打ちをしたが、それでもは涙を流すことはなく、ひたすら反省した顔を見せていた。
その根性だけは認めてもいい。
そう思って、刑部に昔された話を引き合いに出した。
「今の今まで、正しいと思ってやってきたことなら、それは誰に何を言われようと正しいことだ。
あの時は間違っていた、と気づいても、その過去は覆らない。
その時は正しいと思って行動し答えを出した、それだけだ」
きょとり、とした顔を返した女子生徒はおそらく内容を分かっていない。
噛み砕いてテストの回答時と答え合わせ時の例や、勉強法の話を引き合いに出す。
「人間は省みることができる生き物なのだから、間違いに気付くこと自体がまずは大事だ。
次に同じ間違いをしないかを考えてどうするか、変えるなら、変わるなら、いつだ?」
途中からこらえていた涙があふれ出たのか、それとも私の話に感銘を受けたのか。
後者だとしたらさすがは刑部だ。
泣きながらも「今から変わります」と宣言した女子生徒に数学が何たるかを叩きこんでやったが、よくよく思い返してみても、やはりこれがあの人外とは思えない。あれはもっと不遜な態度で、私をいつも小馬鹿にしたように見ていた。アレに比べればこの女子生徒の方が何倍も、何十倍も可愛げがあるというものだ。
いつのころからか、が私に向ける目が変わったように思う。
恩師だと付きまとい、何か手伝えることがあればと無理やり手伝ってくるようになった。
進路の相談にも押しかけてきたので、それとなく乗ってやった。
行事をこなし、高校生活を続けていく最中のを見ていると、時折、あの人外と様子が重なる。
それは本当にふとした瞬間だった。
窓の外を呆けてみているときや、クラスでふざけ合っているクラスメートを見ているときや、私を見つけたときに見せる一瞬の表情。
段々と、の振る舞いが、しぐさが、表情が、目が、アレに似ていく。
そんな折だった。
「石田先生って、夢の中で目が覚めるとき、あります?」
おかしな質問をされた。
「なんだと?」
聞き返せば、困惑した顔をして、「ない、ですよねー、うん、ですよねー」などと苦笑が返ってきた。
夢の中で目を覚ます。
世迷い事、とも取れるそれは、私の耳に残った。
卒業式が迫る中、ことさらアレに似ていくを、どうするべきかを悩んだ。
刑部の元へ、連れて行ってみるべきか。
目を覚ませばそれでよし、だが……。以前の私なら、迷うことなく引きずってでも連れて行っただろう。少し、あの愚直さが懐かしい。
「ねぇ、あんたよく三年も石田に引っ付いて回ったね。怖くね?」
「あー、あれよりもっと怖い人で耐性ついた。会うたびに殺すぞって目線を投げてくる奴いてさー。おまけに口癖もひどいんだよ、斬滅するだの十六寸に刻むだの、マジお守りしてる人よく持つなぁって尊敬したわ」
聞こえた声に勢いよく後ろを振り返る。
卒業式のリハーサルを終えた集団が教室へ戻る中に、がいた。
会話を頭の中でつなげる。
知っている。は、私を、いや、今に生まれ変わる前の私を。そしておそらく、刑部のことも。
待っていろ刑部、今度こそ。
ちらり、と花嫁姿のが私を見る。
それから花婿姿の刑部に向き直り、手を取った。
「ね、吉継さん、幸せ?」
「ああ、シアワセよ。当然であろ?」
幸せ。
そうか、幸せか、刑部。
目元が自然とゆるむ。
がブイサインを示した。
「聞きました、先生?約束守りましたよ私!」
ニッと笑って言う。
なるほど、今の今まであの約束の話を口にしなかったのは、…まだ、あの時の私に会っていなかった、というだけのようだな。確かにあの時、数年ぶりに見かけた人外のあいつは、前よりは大人びていたようにも思う。そんな些事を、やはり気付けなかったのだから私はまだまだなのだろう。
ハッと笑い飛ばす。
「馬鹿者が。今生の未来永劫だ、違えるな」
貴様らのことだ、違えるわけもないだろうが。
了承の言葉を耳に受け、私はその場で踵を返した。
さて、次は恩師への恩義を返さなくては。
式が終わり次第、辞職の手続きと転職の手続きだ。
久しぶりにあの方の元で働ける高揚感を胸に、ひとまずは友の幸せを祝おう。
+++あとがき+++
石田先生マジかっこいい。
いろんな伏線を回収しようとして文字数が大変なことになりました、石田先生戦記です。
みつなりさんの頃にいろいろ気付けていなくて、今の自分も結局まだまだだな、と自嘲するけど、そこに気付けるようになっていること自体が成長の証なんだと思います。
第二部でだいぶ切れやすさが戻りましたが、吉継さんがいる空間についつい甘えてしまっているだけです。あと「刑部を幸せにしないと何があろうと斬滅」を心に誓っているせいです。ダッツ物質も、すぐ手が出るのも、鬼電も、全部が全部義のため友のためなのです。
※バックブラウザ推奨
2014.03.09