私の隣の指定席
その女に会った瞬間、体中を衝撃が走り呼吸が止まるかと思った。
滅多に訪れぬ図書室に刑部を探しに来ただけだというのに、なぜかそいつから目が離せない。
改めて見ても、会ったことも見たことなどない女だ。
だというのに、私の中の何かが何かを訴えかける。
手が震え足が震え、何かを成さねばならない感情に支配される。
なんだ、この女は。
つと、そいつの視線が動き私を捕えた。
次の瞬間、ふわりと、笑んだ。
「……何でしょう?」
その声音にどきりと心臓が跳ねる。
何かが脳内にちらつくがそれが何かはわからない。
ざわつく胸を押さえ近づいた。
「貴様、名は」
初対面の輩に尋ねることはしない問いを、この時私はした。
聞いておかねばならない。
刻んでおかねばならない。
――――ときの、ために。
「1年D組の、です。。貴方は…」
「B組、石田三成だ」
いしだみつなり、口の中で復唱される言葉に訳の分からない懐かしさを覚えた。
これは以前にも経験したことがある。
秀吉様や半兵衛様、刑部や家康に名を呼ばれたときに感じたものと似ている。
「それで石田君、」
――三成様。
呼ばれた違和感に気持ち悪さと不快感が募る。
「訂正しろ」
すぐさま遮った。戸惑うような顔を向けられたが気にすることなどない。
「その呼び方は気に食わん。許可しない。三成と呼べ」
「え、あ、はい、三成、君、何か用でしょうか?」
今度は違和感が弱まった。多少は引っ掛かりがあるが、これでいい。
「私の名を覚えろ」
「、覚えました」
「私が呼んだらすぐに来い」
「え、あの?」
「口答えをするな」
「は、はぁ、わかりましたが、あの」
「なんだ」
「……図書室なので、少し、声を落とされた方が」
図書室にいる生徒全員の視線を浴びていることに今更ながら気づいた。
ギッと、睨みつければ、慌てたように一様に本へと視線を向ける。
その中、一つだけまっすぐこちらに向かう視線があった。
それはヒヒ、と杖を使い笑い歩み寄る。
「やれ、三成が図書室でナンパとな、明日は雨か?嵐か?はたまた槍か?
ぬしも災難よなァ、とやら」
至極楽しそうな引き笑いをへと向ける。
当初の目的である友だ。そうだ、私は刑部を探しにここに来た。
「刑部、帰るぞ」
「あい、わかったわかった」
刑部を連れて、踵を返す。
と、ぱちくりとこちらを見ているが目に入った。
何をそこで呆けている。
「!貴様もだ!」
「は、はい、わかりました」
慌てている様子なのに音は立てず、素早く荷物を鞄に仕舞い込んで後に続いた。
首を傾げながらも確かに付いてくる様子を確認する。
初めて見たときの衝撃は和らぎ、感情が落ち着いた。
これは傍に置いておかねばならない。
これが裏切ることを許してはならない。
私から離れることを許可してはならない。
「やれ、珍しい、メズラシイ。ほんに災難よ、ぬしは不幸の星の元に生まれよったか」
「は、ぁ……初対面の方に、パシリ認定されるのは初めてなんですが……。
……不思議としっくりきている自分がいます」
「ほう、よかったなァ三成よ」
当然だ。それは私の傍にこそふさわしい。
何故そう思ったのかはわからない。しかし、これは必然であり、絶対だ。
「!」
二つ先のクラスからの怒声に駆け出し、声の主の場所まで駆けつける。
自分はなぜこんなことをしているのだろう。
自問自答するも、未だ答えはでない。
初めのころは己のクラスも彼のクラスも全員ぎょっとしたものだが、最近では慣れたものだ。
初めて図書館で声をかけられたとき、懐かしい、という感情を覚えた。
よくよく見たところで今まで出会ったこともない人だったわけだが。
「お呼びですか、三成君」
「部活に行く、さっさとついてこい」
「はい」
なぜか言われるまま共に剣道部に所属することになった。
なぜか、言われるまま、呼ばれるまま彼の傍にいることが多くなった。
それは登下校時、昼休みなども然り。
「石田の彼女、献身的だよな…」
「俺でもあそこまで束縛しねーわ」
そんな会話が耳に届くが、別に私はそこまで大層な立場ではない。ただのパシリである。
自分で言ってて虚しいが。
「殿は、佐助みたいでござるな」
剣道部仲間の真田君に感心されたように零された。
「どういった意味合いなのかな、真田君…」
「名を呼べばどこにいようと駆けつけるあたりが…」
「それは、喜んでいい、のかな」
佐助、というのは彼の保護者のような人で、一つ上の学年、つまりは先輩だ。
剣道部には所属していないが、なぜか真田君の面倒を見にちょくちょく顔を出す。
あの人と一緒、と言うことは己の立場は保護者と言うことになるが…、しかし、彼の人の保護者は大谷先輩だと思うので、やはり己はパシリなのだろう。
「!」
「はい」
呼ばれて応える。もうすでに、反射の域だ。
「帰るぞ。ぐずぐずするな!」
「はい。真田君、また明日」
「ああ、また明日でござる!」
手を振って離れ、彼の半歩後ろに控える。
大谷先輩がいるときといないときとでは歩く速度が格段に変わるので気を抜くと置いていかれてしまう。
なぜだろうか、どう考えても理不尽極まりないとは思うのだが。
ともすれば小走りとも取れるくらいの速さで彼についていけば、珍しく問いを投げられた。
「…貴様はなぜ敬語で話す」
なぜ、と言われても。
首を傾げる。
普通、パシる人とパシられる人の間には上下関係があるものではないのだろうか。
「真田相手には普通に話しているだろう!」
キレられた。やはり理不尽である。
……理不尽では、あるのだが、なぜか苛立ちもしないし憎めない。
しかしここで貴方とは上下関係が云々などと理屈で押しても再度キレられそうである。
別段、指摘を受けるまでは気にもしなかったが、なぜ彼相手には敬語になるのだろう。
その方が、そう、しっくりくるのだ。
三成君、という呼び名でも違和感を感じる程度に。
「……三成様」
呼んでみた。呼びやすい、しっくりくる。向こうは目を見開いている。引かれたか。
「と、お呼びする方がしっくりするくらいに、敬語を使わねば、と感じているだけ、ですが…。
訂正しますか?」
いつの間にか歩みを止めて真正面から向き合っている彼としばし沈黙を共にする。
最近彼の後ろにいることが多いので正面から見るのは初対面以来かもしれない。しかし、何故か既視感を覚える。
やがて、彼は表情を常の状態へと戻すと踵を返した。
「……構わん、好きにしろ」
それだけ言い残して、再度早い歩調で歩みを再開した。
短気で理不尽で意味が不明で、けれど、
なぜだろうか、この人の傍は、どうして、居心地がいい。
翌日以降、自然と様付けで呼ぶ己とそれを違和感なく受け止める彼が周りにぎょっとされ、
石田三成に関わる女は調教される、
という、とんでもない話が学校の裏掲示板を賑わわせることになったとは己の預かり知らぬ話である。
+++あとがき+++
後味悪いのも好きですが、やっぱり幸せにはなってほしいものです。
設定として彼らに記憶はありません。辛うじて体が反射的に覚えている程度、です。
なので、絆(笑)の深かった人しか反応しないです。……黒田さんが出ないのは、黒田さんだからです(酷
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2013.11.17