翼の生えた人間。
人の身ながら、鳥になった者。
そんなやつ、いるわけねぇと思っていた。
「あ、どーも。いい月ですねぃ」
この目で見るまでは。
鳥になった者
不覚にも数秒、時が止まった。
部屋の窓に腰掛け、漆黒の翼が生えた女がへらり手を振ってきたのだ。どこの部屋ってそりゃオレの部屋だ。
いつもの風景が切り取られたかの如く、ソコだけが異質を放ってやがる。
「誰だあんた」
刀に手をかければそいつは間の抜けた顔をさらし、目を瞬かせてからまた笑った。
「曲者なのは確かじゃないですかねぃ。
あ、命のやり取りする気は毛頭ないんでこの窓だけ貸してください」
普通の、それこそただの人間と一目で分かるやつなら誰かを呼べばいいもんだが、やめた。
もったいねぇ。
物の怪に会えることなんて早々ない。
刀から手を離し、窓へと近づく。
「ソコで何してんだ」
「月です、月。今日はいい天気ですからねぃ」
オレを見た女は目を丸くする。
視線は真っ直ぐに、オレの右目を差していた。
「食べたんですかぃ?その右目」
「食わねぇよ」
なんだそりゃ。
誰が目玉なんて好んで食うか。
呆れながらも窓から女が見ていた月を覗く。
雲もなく、黄金のように輝く月がぽっかりと紺色の闇に浮かんでいた。月見酒でもしたら旨いだろう。
「そりゃ勿体ない。さぞかし美味な目だったでしょうねぃ」
「……病に犯されてたんだ。旨かねぇ」
「アタシらにとっちゃぁ珍味ってぇやつでして。なかなかお目にかかりゃしませんからねぃ」
「物の怪が」
言うとはぁやれやれとワザとらしく肩を落とす。
「人間は何でもそれでくくりたがりますねぃ。
アタシは烏天狗の言います」
そちらさんは?と聞かれて新鮮な気分になった。
最近は名乗らずとも名が知れ渡って名乗る機会もありゃしねぇ。
ニヤリと口の端が上がるのが分かる。
「奥州筆頭、独眼竜伊達政宗だ」
「あい、政宗さんですか」
「おめぇ、飛べんのか」
黒の翼を見ながら尋ねる。
烏天狗と名乗ってるだけあって見事なもんだ。
と名乗った女の翼がゆらりと揺らめく。
「これのことですかぃ?そりゃもちろん」
「そいつぁいいねぇ」
空を飛ぶ。
人なら一回くらい夢見るもんだ。
横から黒い影がなくなる。
ついで差し出された細くて真っ白な手。
「飛んでみますかぃ?」
「Ahan?その細腕でオレが抱えられるかよ」
「試してみますかぃ?脆弱な人間よか力はありますぜ」
にんまりと赤い唇を歪めて笑うそいつは確かに宙に浮いていた。
「上等、やれるもんなら連れてってみな」
バサリッ
藍の濃い夜だと言うのに、そいつの闇のような真っ黒な翼がヤケに鮮明に羽ばたいた。
羽根の音と同時に、腕を引かれた。
瞬いたのち、隻眼に飛び込んでくるのはにこやかな笑みを浮かべた。
下へとオレを引っ張る自然の力などもろともせずに、そいつはオレを横抱きにしていた。
「アタシの顔、何かついてますかぃ?」
ケタケタと笑う姿はただの女だと言うのに、こいつから感じるもんは人のそれじゃねぇ。
「ほぅら、今日はお月さん綺麗ですぜ」
その言葉に顔をから夜空へと向けた。
ま、そのお陰で人里なんざ降りてきてられるんですけどねぃ。などと続く声はオレには届かなかった。
月が近い、星が近い。
城が小さい、町も、小さい。
広がるのは暗闇ばかりかと思ってが月の明かりは存外遠くまで届いていて、今の時間が真夜中だとは考えられねぇ。
風を直接身に浴びて、馬とは違う爽快感だ。
何もかもが地上とは違う。
「すげぇ……」
思わず呟いたオレににんまり笑うにゃぁ気付かなかった。
鳥ってのはこんな高ぇところから見回せるもんなんだな。
「鳥に、なりてぇな」
「ぶはっ!あっはは!鳥ですかぃ?」
呟いた言葉に耳元で吹き出される。
「おい、何がおかしい」
「いやいやああ、おかしい」
「テッメェ……」
否定なのか肯定なのかはっきりしやがれ。ぶん殴ってやる。
「いや失敬失敬。夢見る乙女みたいな顔されるんでつい。ぶふっ」
「殴んぞ」
誰が乙女だ。
「そりゃご勘弁願いたいですねぃ」
「Ha!It's a jork」
握り拳を固めるとおどけてそいつは笑う。
つられてオレも笑う。
「お、異国語ですかぃ?」
「Year、Coolだろ?」
「なんすか、そのくぅるっての」
全然なってねぇ発音に声を立てて笑った。
畏まらねぇ奴相手に話をしたのはいつぶりだろうか。
ウチの軍のやつらは全体的にガッチガチにお堅いやつってぇのは少ねぇが、それでも身分ってもんがある。
そういったことに頓着しねぇ成実とは会うのが戦場くれぇだしな。
空中散歩に舞い上がったテンションのままオレはそいつと下らない話で盛り上がった。
「はい、ご到着。いいもんでしょう、空の会瀬ってぇのは」
「ああ最高だぜ」
部屋に戻ってきたのは宵も過ぎる頃。
あと半刻もあれば日が上るだろう。
「そいじゃ、アタシは日が上る前に失礼しますねぃ」
「また来いや」
言えば驚いたように目を見開いた。
「んだ?」
すっと白い手が伸びてきて、オレはそれを避けることはしなかった。
頬を上から下に伝う細くて冷たい指。
ゆっくり口が開いて、また閉じる。
「考えときますよ、政宗さん」
くすりと妖艶に赤い唇を歪ませて、は闇夜に消えた。
夜風が頬に残った冷たさを余計に感じさせた。
「次生まれるときは、鳥に、なりてぇ、な……」
誰にも届かず、空に溶ける言葉。
空は青くて高くて、遠い。
鳥になりてぇ。
いつぞやの真夜中の空中散歩を思い出す。
ああ、ついでに欲を言やぁ、またあんたに、会いたかった、な。
黒と、白と、赤が鮮やかによみがえる。
満月の夜に出会った、あの物の怪。
「……」
バサリと羽根が羽ばたく音。
オレの隻眼を覆う漆黒。
「お久ぶりですねぃ、政宗さん」
白い指が頬を撫でた。
冷たさは
感じなかった。
+++あとがき+++
あれ、何だコレ?
鳥になりたい伊達宗さんの話を囲うと思ったんですけど夢じゃねー……。
ほんとは、最後さんに食べられちゃう予定だったんですけど←
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2008.05.18