千夜と一夜の終わり
関ヶ原の大地で、友であった三成を討った。その友の、刑部も。
喪失感をぬぐいきれないものの、天下人となったからにはやらなければならないことは山ほどある。
喪失を埋めるように戦の後処理に追われ、執務を続けるうちに、生き残った敗将や死んでいった敗将の遺族をどうするか、と言う問題になった。
日ノ本は広い。
それを東西に分けて戦ったのだ、すべてをすべて罰してしまっては統治するものが西から消える。
今まで東で働いていたものを西に送ってもいいが、知らぬ土地の統治となるとなかなかに手間取る。
頭だけ挿げ替えて、今まで勤めていた者たちを補佐に付ける、という温情とも取れる策が有効視された頃。
「…刑部の治めていた地か…」
それだけならわしが自ら出向くほどでもなかったが、どうやら城内に開かずの間がある、という。
死してなお封が解かれることがないそこをどうにかできるのは、おそらく、刑部が使役した闇の婆娑羅と対極にある光の婆娑羅を使う己くらい。
そして少しだけ、その部屋に何があるかの予想がついていたのもあって、自ら来たのだ。
城に踏み入れながら、思い出す。
『刑部は大層愛妻家だと聞いたぞ』
豊臣傘下にいた頃、何かの折にちょっとした雑談でそんな話を振った。
なんでも妻を愛しすぎて婚礼の儀もまともにあげず、秀吉公や半兵衛殿、三成にさえ見せたくないほどだ、との話。
『やれ、われのようなものに細君がおることを疑うか』
ヒヒッ、といつもの皮肉めいた笑みを浮かべた刑部に、そうじゃない、と首を振った。
『愛する者との絆ほど素晴らしいものはないだろ?』
言ったワシに、刑部は心底冷めた目を向けていたように思う。
昔から、絆とか、友とか、愛とか、そういう言葉を誰よりも欲しているのに、誰よりも嫌う男だった。
あいつは頭が良かったから、ワシの言葉を流すなんて造作もない。
けれど、その時ばかりは小さく「ふむ」とだけ頷いて。
『まァ、他の誰にも取られたくもない上、見せたくもないゆえになァ、大事に大事に閉じ込めておるのよ』
珍しく柔らかい表情で言うものだから、監禁はよくないぞ刑部、と笑い飛ばし、心の内では刑部にそのような存在があったことを喜んだものだったが、今になって思う。
本当にやってたんじゃないか、と。
開かずの間に、奥方閉じ込めてるんじゃないだろうか、と。
むしろ、刑部ならやりかねない、かもれしれない、と。
それが報告を受けて真っ先に自分が来た理由だ。
関ヶ原の合戦から開かずにいる間。
家臣たちとて入れはしない、そこ。
合戦から、幾日過ぎた。
数えてはならないような気がした。
最悪の場合も考えながら、開かずの間の前に立つ。
黒い、闇の鎖が重々しく封をするそこに手を当てれば、まるでワシを待っていたかのように黒い鎖は溶けるように消えた。
すっと、襖を引く。
中は暗い。
けれど、その中に女を一人、見つけた。
「お前が、刑部の…」
まぶしそうにこちらを見る女に近づく。
痩せ細った体、最低限の着付けと、掛けるだけの打掛。
本当に、いた。
近づいて、怖がらせないよう目の前で膝を折って目線を合わせる。
「お前が大谷吉継の妻で相違ないか」
尋ねれば、しばらくしたのちに、こてり、と首が横に倒れた。
何度か瞬きを繰り返す。
その様子に、もしや、と別の可能性を見出す。
「…耳が、聞こえない、のか」
それで、中傷を恐れて、刑部はここに?
その呟きに、女はようやく首を振って応える。
ただ、その答えが、意外過ぎた。
「聞こえてはいます。ただ、言葉に覚えがありませぬ。
おおたによしつぐ、とは…、彼の、この部屋の所有者の名でしょうか?」
「…そうだ」
「私は……、結婚していたんですか?彼と?」
「……ワシに、聞かれてもな…」
どういうことなんだ、刑部。
婚姻関係を自覚していない上に、お前の名前も知らないとは、…どういうことなんだ、刑部。
彼女は、おそらく、刑部が言っていた細君だろう。たぶん、ワシに判断はできんが、おそらく。
口ぶりからして、教養もあるようだが、どこかの姫君、と言うわけでもなさそうだ。
「先程の問いですが、私では答えかねますので、彼に聞いていただけると助かります」
合戦から、幾日過ぎた。
先と同じ問いを頭の中で繰り返す。
この女はここに閉じ込められていた、他の者が開けようとしても開かなかった、つまり、彼女は知らないのだ。
「…刑部は、大谷吉継は、先の戦の敗将。この世にはもういない。それを、言いに来た」
伝えれば、またもしばしの間の後、
「あら、まぁ…」
ため息のような声が女の口から洩れた。
「…何も、知らなかったのか?」
戦のことではない。
刑部のことを、何も知らなかったのだろうか。
名すら、知らないのだ。
「私は、この部屋へ入れられて以降、出た試しがありませんので」
苦笑ともとれる淡い笑みを浮かべる彼女はとても儚かった。知らずに、そうか、と頷いていた。
刑部の名も知らず、おそらく東西に日ノ本が別れて戦をしていたことも知らず、西軍を束ねていた重鎮であったことすら知らず。
都度、まぶしそうに目を細める彼女は、日の光さえ知らぬのではないだろうか。
「ここ以外に行くあては?」
聞けば首を横に振られた。
そう、だろうな。
次に、そうか、と頷いた時には心は決まっていた。
「お前の身はワシが預かろう」
遺族親族は少なからず罰する対象となるが、彼女は違う。
彼女が大谷吉継の妻であるかを証明する手立てが刑部の証言のみなら。
彼のいない今、彼女は何も知らず、奥方でもなく、ただ監禁されていただけの哀れな女、なのだ。
罰する対象ではなく、保護すべき被害者。
……もし、それを、この結末を刑部が見越していたとしたら。
さすが半兵衛殿に次ぐ悟性…、と言うべきなのだろう。
これは、彼女を大事にしないと末代まで祟られてしまいそうだ。
「名乗りが遅れたな。ワシは徳川家康だ。よろしく頼む。
お前の名は?」
「ありませぬ、彼には、ぬし、とだけ。
名がないと不便と言われるならば、名をくださいませ」
「え、ええと、そうだな、ワシは女の名には疎い。少し考えさせてくれ」
「あい」
刑部が良くそう答えたように、相槌を打つ彼女。
これが刑部だったら、悩まずに語感が良くて、彼女に似合う名を与えられたのかもしれない。
女を横抱きにして部屋の外に出る。
あの暗さの中に慣れ切ってしまったのか、彼女は眩しそうに庭を眺め、そっと瞼を落とした。
+++あとがき+++
大谷さんの愛情は、わかりやすくてわかりづらいといいなァって思います。
で、ヒロインサイドからだと大谷さんの愛がわかりづらかったので権現様に登場してもらいました。
誰かに半兵衛様に継ぐ悟性って言わせたかったんです。
初めは凶王様が扉を斬滅して入ってくるのを考えていたんですが、
敵方に保護されてもそこで無事に生き延びられるよう生前から策を巡らせていたら大谷さんかっこいい!
という妄想に至ったわたくしのせいで討死扱いです。ごめんね凶王様!
…魚緑√の改造版みたいとか、そんな、こと…。
※バックブラウザ推奨
2014.02.13