体温
音が違う。
風が屋敷を打つ、雨が打ち付け鳴る瓦。
聞いたこともない音。
ここは音も違うんだ。
アスファルトを打つ音もなければ、ガラスに叩きつける音もなく、トタン屋根に落ちたときの派手な音もない。
この初夏の大雨は、きっと向こうで言う梅雨、なんだろう。
草履も履かずに庭に出た。
土がぬかるんでいた。
途端に私の着物は水を吸い込んで、重さを増す。
庭に立ちすくんで空を仰いだ。
嗚呼、雨の暖かさは変わらない。
天から降り注ぐ雫も、厚くて黒に近い灰色の空も、耳を覆ってくれる雨音も。
目をつぶれば、ただ雨の中にいると言う事実だけが心地よい。
変わらぬ雨は嬉しいようで、やっぱり哀しい。
どれくらいそうしていたかは分からない。
「――殿!殿!!」
雨音に負けない大きな声が私を引き戻した。
いつもはそんなに叫ばなくてもと思うのだが、この雨の中ではそんな感想も浮かばない。
赤に茶と言う袴姿の彼は、迷うことなく庭に降り立ちずんずんこちらへ向かってくる。
どしゃ降りの中、彼の着物もあっという間に濡れてしまって、私と彼の距離がなくなるころには濡れ鼠。
「どうかした?」
「この大雨の中何をしておるのだ!!」
あ、やっぱり近くで叫ばれるとうるさいかも。
尋ねた質問は軽く無視されて、腕を引かれる。
抵抗を見せれば、キッとおおよそ彼らしくない表情でこちらを睨んできた。
「まだいたいの」
「ならぬ!」
再度伸ばされる手はあろうことか私を横抱きにした。
彼の彼らしくない行動に目を開いている間に、縁側まで連れ戻された。
「誰かおらぬか!」
「はい、こちらに」
「拭くものと着替えを持て!」
「か、かしこまりました!」
通りがかりとおぼしき女中さんは主の腕の中にいる私に目を見開いて駆け足で元来た道を戻っていく。
雨音が空間を支配する。
ちなみに私は未だ彼の腕の中だ。
「あの、幸村?放してくれる?」
堪り兼ねて、私はため息と共に解放を呼び掛ける。
こうガッチリと抱かれてちゃ、自力で脱出なんか無理だ。
相手は異性で、かつ天下に名を轟かす日本一の兵なのだから力で敵うはずもない。
「……ならぬ」
「でもさ」
「武士に二言はござらん」
使いどころが違うよ、それ。
一度言い出したら聞かない質なのは知っているけれど、それでもこの状況はいかんともしがたい。
「幸村の、破廉恥」
「ぅぐっ、い、や、譲らぬ!」
何をだ。
より一層力強く抱き締められて反応に困る。
暖かい、というよりも湿気を含んだ空気と気温と体温が相まって熱い。
ちりちりと、幸村の長い髪が首筋に当たってくすぐったい。
再びどうしたものかと考えを巡らせた。
「そなたが冷えてしまうだろう」
そっと、たぶん私に聞こえないように呟いたと思われる彼の声。
それは雨音に消されることもなく耳に届いた。
「――いいのに」
余計なお世話とか、そういうんではなくて、幸村の気持ちは凄く嬉しい。
でもだからと言って、ここまでしてくれなくてもいいのに、という意味で。
「よくない」
まるで駄々をこねる子供のようだ。
まあ。私が人のことなど言えないが。
雨音と幸村の鼓動と、私の鼓動。
聞こえる音はそれだけだった。
抱き締められるのに観念して、私は彼に体重を預けた。
幸村はわずかばかり驚いたように体を震わせて、それでもぎゅっと抱き締める手を緩めない。
「……消えないで下され」
泣いているんじゃないかと錯覚するくらい苦しそうな声音で呟かれた言葉を、私は聞かなかったことにした。
いずれ私は消えるのだから――
でもその時までは、この暑苦しいほどの体温を側で感じていて、いいだろうか。
+++あとがき+++
珍しく佐助の出てこない幸村夢っす!
……佐助の出ない夢はなんだかローテンションだと今更ながら気付きましたw
※バックブラウザ推奨
2008.05.29