世界転換
昼寝ならまだしも、だ。
コンタクトを目に入れたまま眠る人はいないだろう。眼鏡もまた同様で、かけたまま眠る人もいないと思う。いたとしてもそれはごくごく少数の人間であって、とにかく私は自分の目と眼鏡がカワイイので眠るときにコンタクトはもちろん眼鏡もつけたりかけたりしない。よっていつも起き抜けは視界がぼんやりした中なら始まる。それは既に習慣と化していて、手を伸ばしていつもの場所にある眼鏡に触れ、手探りでそれを引き寄せて装着し、そこでようやく世界が鮮明になるのだ。
だがしかし。
そのぼんやりとした視界が捉えたものが、明らかに自分の部屋、自分の寝床でない場合。
それはどこなのか確認する術を私は持たない。
どれだけ目が悪いのだと罵られたら反論する気も起きないくらい私は目が悪い。最悪だ。何せ、機械ではもう測定できないくらいなのだから。視力検査も裸眼で行えばあのアルファベットみたいな記号が所定の位置から見えず、近付いていって視力を確認するくらいなのだ。
……何の自慢にもならないことは重々承知の上だ。
ちなみに先天的なものではなく、それは明らかに私の生活態度から来るもので、そりゃ、真夜中までネットサーフィンしてりゃ視力は悪くもなるのである。要は自業自得だ。遺伝云々言われているが、将来生まれてくるであろう我が子よ、すまん。今の内に謝っておこう。
などと現実逃避をしている場合でもないのが現状である。
ここはどこだ。
手元に眼鏡がないのは確認済みで、ここが自分の部屋でないことは、回りを見回せば一目瞭然。だって私、いつもベッドだもの。畳の上でなんて、ばあちゃんちに行ったときくらいだろう。うん、懐かしい匂いだ。
……また現実逃避に入るところだった。
目が悪いとは言っても見えはするのだ。はっきり見えないせいで人の顔をものっすごい顔で睨みつけてしまうことはよくあるが。色は鮮やかに私の目に飛び込んできてくれる。
だから分かる。ここは私が昨日眠りについた場所ではないと。
「どこ、なんだろ」
声を出してみても虚しく空気に溶けていってしまう。
どうしたものか。
見回しても私の部屋じゃないことくらいしかわからない。
いつのまにか人の家に上がり込んでしまったのなら勝手に出歩くのもどうかと思うし。
とりあえず、布団から出て敷き布団を三つ折りにし、掛け布団を四つ折りにして重ね、枕を置いておく。
部屋のど真ん中にこれだけあるのもどうなんだろうと思ったけれど、勝手に押し入れを開けるのもよくないだろうと結論付けておく。
もう一度部屋を見回して……、あれ?あそこにいるのは、人?
「やぁっと気付いた」
至極楽しそうに響くこの声を私はどこかで聞いたことがある。その姿も、というか緑色が基調の色合いも何となく見たことがある。
「おお怖。睨まないでよ」
「あ、すみません」
よくよく見ようとしてガンを飛ばしてしまったらしい。
初対面の人を睨み付けるだなんて……いや眼鏡ないし、コンタクトないし、不可抗力だ。
「あの、ここ、どこですか?」
「勝手に忍び込んでそれ言う?」
「え!?私が、ですか?それは本当に申し訳ありません!うっわ恥ずかしっ」
夢遊病?夢遊病なのか私!パジャマのまま他人のお宅に上がり込むだなんてアホだ。
「すまないと思うんだったらさっさと情報吐きな」
「じょうほ?」
譲歩、じょうほ、いや、じょうほう、情報?いや、何の?
「あらら?しらばっくれちゃう気?」
「ええとすみません、何をお聞きになりたいのかさっぱり分からないので質問していただけますか?」
「それもそうか。じゃあまず、あんたの名前は?どっから入ってきたの?」
「名前はです。どこから入っていたかはわかんないです」
だって気が付いたらここに寝ていた訳だし。
「んじゃあ武田に何の用?」
「タケダ?あ、竹田さんというお名前なんですか?いや別に用があったわけじゃ……気付いたら寝かされてましたし……あ、私どこで発見されたんですか?」
聞けば竹田さんは怪訝そうな気配を醸し出す。よく見えないのでどんな表情かはさっぱりだが、頭がおかしい子、みたいなイタイ視線が突き刺さる。
紙一重なのは認めるが言葉を発したくなくなるくらい頭がおかしい訳じゃない。たぶん、きっと、健全なオタクです、はい。
「えぇっと、竹田さん?」
固まってしまった竹田さんに首をかしげる。もしや怒らせてしまっただろうか。まあ不法侵入した挙げ句、布団にも寝かせてくれたのだからいい人なのだとは思うのだが。
「それ、もしかして俺様に言ってる?」
「そうですけど、竹田さんですよね?さっき名乗られましたし」
「いや、あの、さぁ……あんた家は?」
家?
至極言いづらそうな声音の彼はおかしなことを尋ねてきた。
私は首をかしげながらも現在絶賛親と同居中の我が家の住所を述べる。郵便番号っているかな?まあ、いいか。
それについた反応は腹の底からのため息と、
「あんた、頭ダイジョブ?」
などという人を奇人変人扱いした言葉だった。
……私をよく知る友人知人連中にはよく言われるが、知らない人にそんなことを面と向かって言われたのは初めてだ。しかも当たり障りのない会話しかしてないに。ここは素直にだいじょばないですと答えるべきか。いやでもそしたら話が変な方向にこじれそうだ。
「そんな地名聞いたこともないよ。どんだけ田舎なのかは知らないけど、国どこ?」
「日本です」
めっさ日本語しゃべってるじゃないですか。
と、私の答えがまたも気にくわないらしいような気配だ。目が見えないと相手の表情わからないから不便だな。
「ふざけてんの?」
いやいや全然めっきり全くもってふざけてません。そのままそっくり返そうとして、目の前の人から発せられた言葉に、開いた口が塞がらないとやらを体感することになった。
「ニホンなんてどこの国?ここは甲斐だ。近場なら越後か?駿河か?それとも、奥州?」
ほわっつ?
カイ?エチゴ?スルガ?オウシュウ?
どこ、ですか、それ。いや聞いたことはあるよ。つい最近ゲームで。
いや、待て私。もっと突っ込むところあるよ。
なに、この、首もとに突きつけられてる刃物とおぼしき固まりは。
なに、この、身体が震えて止まらない寒気は。
ついでに、さっきよりも接近してまさに目の前まで迫っているこの人の姿はまるで……コスプレ。今度の夏、まさにやろうかと考えてたそれは、迷彩柄のポンチョとかわゆいズボンと構造がよく分からない腹巻きプラス腕の手甲。そして鮮やかな鳶色と、鋭い赤茶の瞳は、ヅラでも、カラコンでも表現できない生々しさを備えている。
私の記憶が正しければ、いや、間違えるわけもない。寝る前までプレイしていたじゃないか。戦国BASARAの猿飛佐助、だ。
「……よほど訓練されてるみたいだな」
何をどう見たらその結論に至るのか、仔細詳細問い詰めたい。が、それよりもまず先に、ここ、本当にどこなんだ。え?カイ?ってことは甲斐?何で私こんなとこいるんだ?どっか見知らぬコスプレ大好きなうははいな他所様のお家にお邪魔しちゃったんではなくて?
……夢じゃ、ないよね?
試しに首に当てられている大型手裏剣のような物体を素手で触ってみる。何を考えたんだか後々振り返ってみてもよく分からないが、素手でガッといった。勢いよく。
「何やってんだ!?」
えーっと。ほんと、何やってんでしょうね。
綺麗にスパッと割れました。間から赤い赤い液体がこんにちは。
って、
「いった!?これ本物!?じゃあ夢じゃないのか!?」
「あーぁー、俺様訳分かんない。これ見たら普通さっくり切れるのくらい分かるでしょ?畳が汚れる」
「え、着眼点そこですか?」
さすがは武田のおかん、猿飛佐助。人の怪我より主宅の畳の心配か。
でもじくじく痛み出すその痛みはまるで紙とか草で指を切ったかのような鋭い痛みだった。よく切れる刃物だと言うことが実証された。私の手という尊い犠牲によって。つか、血が止まりませんねぇー、いてえよコンチキショー。
畳に零れたら何か一発いただきそうだったので私は慌てて着ていたパジャマの袖で傷口を押さえる。
わあ、あっという間に真っ赤っか。これで私も武田色♪なぁんて言ってる場合じゃない!?
「すみません!畳汚しちゃいましたか!?」
「え、そこなわけ?」
「は?だってそこじゃないんですか?」
赤茶の瞳と見つめ合うこと数秒。その目に呆れが浮かんでいるのかはたまた別の何かが浮かんでいるかはさっぱりわからない。だけれども、ガッチリ目が合って離れなかったのは本当だ。
はあ、とため息が聞こえた。
「よく分かんないけど、あんたが無害だってことは分かった」
「いえ、ただ今現在進行形でお宅様の畳が危機に直面しています。畳の張り替え高いんですよ、マジで!」
「手当てしたげるよ」
「へ?」
グイッと引っ張られて――それ結構痛かったんだけどまあいい――私の真っ赤なおてては猿飛佐助のレイヤーさんに手早く治療される。怪しい液体をぶっかけられ、目から涙がちょちょ切れちゃうほどめっちゃ染みる中、ささっと傷口回りを拭き取って、新たな赤が生まれる前にぐるぐる器用に包帯に巻かれていく。
あまりの早さにちょちょ切れた涙がこぼれ落ちる間もなくその手当ては終わった。思わずおぉ〜、と歓声をあげてしまう。
「んじゃ、ちゃん?ちょっと俺様と一緒に来てくれ。俺様があんたを無害だと判断したら連れてくるように言われてんのよ」
「え、あ、了解です」
何かよく分からないけど言うこと聞いておこう。手当てしてもらっちゃったし。
猿飛佐助とおぼしき人の後に続こうとして、
「わふっ!?」
自分で畳んだ布団に足を取られて前転しました。顔面からね、ごろんとね。結構痛いよ、鼻が。くそ、布団め。畳んでやった恩も忘れて……ああ、そうさ、忘れていた私が悪いさ。見えなかったんだから仕方がないじゃないか。
「……鈍」
ほっといてくれ、仕様だ。
鼻をさすりながら私は起き上がる。やはり目が見えないと不便だ。
「早くしてよ」
「あい、すみません」
私、この人に謝りっぱなしだな。
今度は障害物がないことを確認して緑色の背中を追いかける。と、
ごいん、と襖と襖の間にいらっしゃる柱とご対面した。今度は頭から。
しかも襖の横を通る最中だったため、角。
「〜〜〜〜〜っ!!」
くっそ!見えないだけで遠近感覚狂うな!!色だけじゃ判断できないっつの!
言っとくけど普段はこんなにたくさんはぶつけないからな!
「あーぁ。見てらんない。何でこんな鈍い子警戒してたんだか」
ああ、もう何とでも好きに呼べばいいさ!痛くて拙者、前が見えませぬ!前が見えないのは視力が悪いせいだとか言わない!
ちなみに痛みに悶えていて反論すらできていない。ボケが暴走し続けるのは私の心の中でだけだ。
「ほら」
手を、引かれた。
怪我をしてない左手を、暖かい何かに引かれた。
「俺様の真後ろ歩いてよ?大将に会わす前にこれ以上怪我増やされたら堪ったもんじゃない」
驚いて痛みが引っ込んで、顔をあげれば私の左手は彼の左手が後ろ手に掴んでいた。
このまま歩き出したら背中に激突するんじゃないだろうか。そんなことを考えているうちに彼はさっさと歩き出す。その歩みは一定で落ち着いていて、曲がり角の時にはさりげなく廊下の真ん中に導いてくれるようだった。もしかして真後ろ歩かされてるのももしものとき私がつんのめったら支えてくれると?
ジェ、ジェントルマン、猿飛佐助!あ、いや、やっぱりおかん?
よく分からないが君の株は私の中で急上昇だよ!
って、え?私これからどこに連れていかれるわけ?
※バックブラウザ推奨
2008.04.08