夢話-夢小説の間-




 

安らげる場所





 夕日が見たくなって。
 そんな時もあるんだと自分に言い聞かせて。
 もうそろそろ日が傾くであろうという時間には一人草原にいた。

『くそっ、なんだって私がこんなにイラつかなきゃいけないの!』

 まるで怪獣のごとく、日本語でいらつきをぶちまける。
 時々起こる衝動。
 いつもどうにも出来ない。
 むかむかとこみ上げる激情だけがを不愉快にさせていた。
 思いの元は簡単なこと。
 恋人である張遼が構ってくれない。それだけである。
 朝は調練、昼は食事の時間も違い、その後は執務や鍛錬、馬の世話などに回る彼。
 働いている身なのだから仕事があるのなら幸せなことなのだろう。

『なんでココにはカラオケもゲームセンターもないわけ!?』

 電気も通っていない時代にむちゃくちゃをいう。
 そう、は1800年も未来から来た少女だった。
 気がついたら魏の国にいて、全然身に着けた覚えのない見事な武で気がついたら武将になっていた。

『そりゃ、大事でしょうよ!戦第一の国なんだから…』

 の愚痴はまだまだ続く。
 まったく持って不愉快だった。
 会えない時間があるなら自分で作ろうと意気込み…見事失敗。
 隙がないのかと思えるくらい張遼のスケジュールは詰まりに詰まっていた。

『文遠のバカヤロー!!ついでに惚れた私にもバカヤローーっっ!!』

 夕日に向かってバカヤロウ。
 なんていい青春なのだろう。……などとが思うはずもない。

『なんで私ばっかり必死なんだーー!!!』

 ぜぃ、はぁ…。
 息を整えて草原にごろりと寝転がる。
 幾分すっきりしたような気がする。
 これで腹いせにいっぱい泣けばストレス発散完了だ。

「ふぅ…」

 は情けない、と思いながらも頬を濡らす。
 現代でのストレス発散方法となんら変わりはない。
 昔から泣き虫で、でも周りには理解されなくて必死に泣きやすい体質を何とかしようとしていた。
 結局、泣くのは自分の中の言えない不満の塊だからだという結論になり、いつもストレスが溜まるとこうして一人泣く習慣がついた。
 どれくらい呆然と涙を流していたことだろうか。
 ふいに、馬の駆ける音が聞こえた。
 そして――

殿!探しましたぞ!」

 どくんと脈打つくらい愛しい声。

「あ。文遠さん…」

 元凶現る。
 宮中でそれなりにすれ違うので久しぶりに会う、というのも不思議なものだが久しぶりな気がした。
 馬から下りて近づいてくる張遼を見ながら、さて、どうしてやろうかとの頭が回転を始める。

「なにしてるんですか?」
「何ってあなたを探しに来た、と申し上げましたが…」
「あぁ、そういえば。何か書類に不備でもありましたか?
 もしくは私の部下が何か?」

 あくまで業務的にたずねる。
 張遼をいじめたいのと、…甘い期待をすると心に毒だから。
 の問いに張遼はしばし詰まったようだった。

「……さしたる用がなければあなたを探してはいけないのですか?」
「あはは、文遠さんに探されたら誰だってそう思いますよ」

 眉をひそめる張遼にはにこやかに遠まわしな嫌味を放つ。
 つまりは、仕事一本気で私には見向きもしないくせに、と。 
 すっと張遼の手が頬に伸びる。

「何故、泣いておられるのです?」
『ストレス発散のため』
「……は?」

 にこーと笑みを浮かべたままは日本語で言い放った。
 きょとんとする張遼の顔がおかしくて噴出す。
 クスクス笑い出すに張遼は困ったような顔になる。
 そしてその表情を見るのが結構好きだったりする。
 “私のことで文遠さんが困っている”
 普段冷静に取り繕っている彼を崩せるのが堪らなく満足感を得るのだ。

「よくあることです」
「よくあっては困ります」

 笑いながらが言えば、むっとした顔になり言い返す張遼。

「じゃあたまにあることです」
「たまにでも、困ります」

 張遼の言葉には大笑いを始める。
 戦場を駆ける時は鬼のような人間が子供のように拗ねているのだ。

殿は私を困らせてばかりだ」
「何言ってるんですか。お互い様ですよ」

 さて、見付かっちゃったことだし帰りますか、とは腰を上げる。
 夕日は既に地平線の彼方へと沈んでいた。
 張遼を置いて歩き出そうとしたとき声がかかった。

「そうやって、私にも心を見せないおつもりか」

 ぴたり、と足が止まった。
 風も、時も止まった気がした。
 同時に心臓も止まりそうだった。
 張遼がこんなにも悲しそうな声を出すのは初めてだった。

「……」

 立ち止まったにゆっくりと張遼は近づく。

「貴女はいつもそうだ。
 いつも心を見せようとしない。
 いつも何かで取り繕っている。
 まるで何かに責め立てられているように感じるのです。
 せめて、私の前だけではそのようなことをしないでいただきたい」

 真後ろから聞こえる声には心の中で何かが解けるのを感じた。

 何も知らない世界だった。
 何も知らない文化だった。
 自分の能力も、いつ身についたのか、何故身についたのか何も分からなかった。
 誰が、何をさせたいのかも、自分が何をしたいのかも分からなかった。
 怖かった。
 この世界の何もかもが。
 自分自身でさえも。
 目を背けて取り繕うことで、平気なふりしていたかった。
 この人はそれを見抜いてくれたのだろうか。

 風で乾いた頬にまた雫が落ちる。

「我が侭、でしょうか」

 言ってから引くところが彼らしいと思う。

『ばーか』

 掠れた声で呟いて全体重を張遼に預ける。
 彼は難なく受け止めて静かにを抱きしめた。
 張遼の暖かい体温が冷えた体に染みて、また涙が頬を熱くする。

 “ココは安心していいとこ、休んでいい場所だ”

 目を閉じると溢れた涙が頬を伝った。
 しばらく静かに泣いているとぎゅっと抱きしめる力が強まった。

「私の、せいですか?」

 耳元でささやかれる声。
 ゆっくりと時が動き出すのを感じた。

「文遠さんのせいです」

 間髪いれずに答える

「文遠さんが構ってくれないのがいけないんです」
「申し訳…」
「文遠さんが!」

 謝ろうとした張遼を大きめの声で遮っては続ける。

「こんなに、優しすぎるのがいけないんです」
、殿?」

 困惑した声と少し緩められた腕に口に笑みが浮かぶ。

「文遠さんが、私を好きになんてさせるのがいけないんです」

 呆気に取られているだろうと予想しながらも、さらにその先を口にした。

「だから、文遠さんがぜーんぶいけないんです」

 言い終わって、はぐっと顔をのけぞらせ張遼の顔を見上げる。
 涙に濡れた頬いっぱいに広がった笑顔。

「分かって、くれました?」

 体制的に少しになるが首を傾げては尋ねた。
 すっと影が落ちたかと思うと、暖かい物が頬に触れてくすぐったさを残して離れた。

「ええ、重々と」

 優しい顔で微笑んで頷かれるのをは確認した。
 と、ふわりと重力が取り去られる。

「え?」
「歩きできたそうなのでお送りしましょう」

 張遼はを横抱きに抱え、自らの馬に向かって歩き出す。

「いや、あの……。じゃあお願いします」

 張遼ほどの武人が自分の体重などで根を上げることはないということと、せっかくだから甘えさせて貰おうという心が働いて、は横抱きにされたまま張遼の胸に顔を摺り寄せた。
 優しく馬に乗せられてゆっくりと歩き出す。

「そうだ」

 思い出したことがありは顔を上げた。

「何でしょう」
「私を探して何をしたかったんですか?」
「…………」

 帰ってきたのは長い長い間。
 しばらく馬の歩く音だけが空間を支配する。
 沈黙を破ったのはだった。

「……考えて、ないんですか?」

 じーっと見つめると、張遼は気まずそうに目線を外し、ポツリと一言。

「……会いたかったのです」

 小さいけれどはっきりと聞こえた声。
 そして珍しく赤くなった張遼の顔。
 は何とも言えない幸福感が胸を満たすのを感じた。
 けれども素直にそれを口に出すのはあまりにも恥ずかしくて。

「……嬉しい。文遠さんにもそんな感情備わってたんですね。
 じゃ、ご飯食べて帰りましょうか。文遠さんの奢りで」

 ひねくれた回答をひねり出す。

「今、一言多くありませんでしたか」

 視線が真剣なものに変わって返ってくる。

「分かりましたー。私も払いますよ」

 口を尖らせて拗ねる。
 もちろん、張遼の言う“一言”が分からなかったわけではなく、わざとである。

「……いじけますよ」
「是非見てみたいです。いじけてください」

 早速と言い返してくるに、張遼は肩を落とした。
 その様子を見てクスクスと笑い出す。
 やれやれといったため息をつく張遼は笑い続けるを見下ろし、たった今思いついたことに口をほころばせた。
 の耳元に口を寄せそっと言葉を紡ぐ。

「意地悪だな、は」

 ぴたりと笑い声がとまって、見れば真っ赤に染まったの顔があった。

「…………文遠さんのほうが意地悪です」

 ぽそぽそと言い返したに張遼は満足そうに笑った。
 夕暮れ過ぎの藍と橙の混じった空が二人を優しく包み込んだ。














+++あとがき+++
ミステリアスキャラ張遼様でした。
最後の最後で一手上を行く感じの人だといいなぁという妄想(笑)

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2007.10.01