夢話-夢小説の間-




 

遠回りな愛情





 曹操がその場に足を踏み入れた瞬間、空気がピンと張り詰めた。
 捕らえた、もしくは投降してきた呂布軍の兵たちを捕らえた場である。
 殺気を放つ者。諦め切っている者。さまざまだ。
 しかし、曹操の目に留まったのは彼が訪れても微動だにしない一人の女兵士。

「ほぅ…、そこの者。名はなんと言う?」

 静まり返った中曹操は声をかける。
 が、彼女は自分が声をかけられたのとは思わず、いまだ無反応である。
 曹操は歩み寄り、女の顎をつかんで正面を向かわせる。
 すっと合わさった視線は透けるように真っ直ぐで思わず見惚れるほどであった。
 曹操の目が細まる。

「おぬしだ。名を名乗れ」
「……張、

 口元からつむがれた言葉は落ち着きのある声。
 とても敵軍にとらわれたものとは思えない。 

「ふっ、この包囲の中、己が脱する隙を窺うとは…抜け目ない奴よ」

 そういうとピクリと彼女…の眉が動く。
 ふっと息を吐くと

「お褒め頂き光栄だ……とでも言ったほうがいいか?」

 と、口元に笑みをたたえ言い放った。
 曹操は彼女の受け答えに思わず目を丸くし、次には豪快に笑った。

「面白い奴よの。儂の元へ来ぬか?」
「いつ裏切られても構わないのなら、そうしよう」

 こうして一風変わった女兵士は曹操の護衛兵となった。







「城内は適当に覚えておけ。戦以外のときは鍛錬に励むが良い」

 曹操という人物は自分の配下に対して各個人に任せているようだった。
 城を探索がてら歩いていると、前から見慣れた者が歩いてきていることに気がついた。
 見るからに武将のいでたちをした彼は呂軍でも騎馬隊を率いていた男、名を張遼という。

「……兄上」

 呟けば目の前の男ははっとに気づく。 
 この二人、性格は正反対なれど血を分けた実の兄妹であった。

!?お前も無事であったか」
「ええ、まぁ。曹操様に気に入られてその下に引き抜かれました」
「そうか…」
「兄上はてっきり自害しているものかと」

 しばしの沈黙が舞い降りる。

「……いや、関羽殿に止められてな」
「関……、ああ、あの髭ですか」
「ひ、髭……」

 切り捨てたような妹の言葉に少し間が空き、張遼は答える。
 そしてといえば彼の有名な武人を「髭」扱い。
 張遼は呂軍にいた頃の頭痛を思い出した。

「…………相も変わらず減らん口だな」

 頭を抑えつつ張遼は何とか言葉を発する。
 は口の端をわずかに吊り上げる。

「達者な証拠でしょう」

 この娘、呂軍にいたころからこの調子であった。
 兄である張遼とは人当たりが正反対。
 もちろん快く思わないものも多く、呂布のお気に入りでなければどうなっていたことか計り知れない。
 呂布といい、曹操といい、もしかしたらそういった大物だけを引き寄せる魅力を放っているのかもしれない。実に厄介だ。

「あまり問題を起こさないでくれよ」
「覚えていたら善処しますよ」

 疲れきった兄の言葉に、保障しないという妹。
 ああ、典医に胃薬を用意してもらわねばと張遼は心の中で強く思うのであった。








 目の端に探していた者を見つける。
 鍛錬場で半ば殺気を放ちながら大振りの剣を振るい続ける一人の男がいた。
 主である曹操の従兄弟に当たり昨日の降った戦で左目を負傷し、隻眼の将となった男。
 名は……夏侯、何とか。
 夏侯のつく将軍は他にもいる。
 さてどうしたものかと一瞬だけ考えたが、

「盲夏侯将軍」

 とりあえず覚えていなかったので宮中で呼ばれている名で呼びかけることにした。

「っ、貴様…!斬られたいか!?」

 ギンと睨み付けられ、吼えられる。
 手にある剣のおかげでその効果は一層強くなる。
 だが、普通の兵であったなら腰を抜かして逃げ出すところを、は何事もなかったように次の言葉を紡いだ。

「丁度稽古をつけていただきたいと思っていたところです。
 手合わせ願います」
「いい度胸だ!!」

 投げつけられた稽古棒を受け取り、構えを取る。
 相手も稽古棒を持つからにそれなりに理性は残っていたらしい。

「死角を狙って卑怯、とは言いませんよね」
「無論だ!その小生意気な口、封じてくれる!!」

 激しい打ち合いが続く。
 ふと夏侯惇の視界からの姿が消えた。
 カン、と乾いた音が後方で響き、死角であった首の左筋に稽古棒があてがわれた。
 たかが一兵に負けた、だと。
 本来左目があったならありえないはずの敗北。

「案外長引きましたね。
 まぁ一将軍ですから隻眼になっても実力はそれなりということなのでしょうね」

 稽古棒を肩にかけ、独り言のように呟く。
 もちろん夏侯惇にとってその言葉は侮辱以外の何物でもない。

「あ、いい忘れました。
 私、先日より曹操様の護衛兵になりました、張遼が実妹、張と申します。
 以後よろしくお願いいたします。ではまた」

 深々と嫌味なくらい頭を垂れ、彼女は去った。
 それだけで限界に来ていた堪忍袋の緒が切れるには十分だった。

「〜〜〜〜っ!!」








「張遼!」

 豪快に扉が開き、執務室に乗り込んできた夏侯惇に張遼はぎょっとする。
 あの張遼が表情に出すほど彼の顔は怒りに歪んでいたのだ。

「貴様の妹…!」
「またあの娘が何か…?」
「……また、だと?」
「ああ、いえ。失礼。我が妹が何かご迷惑をおかけしたか」

 頭の前辺りを押さえて張遼は尋ねる。
 「またか」と。
 曹操軍に降ってからそう月日は経っていない。
 ほんの数日のはずだ。
 だというのにこの部屋を訪れる者の足が絶たない。
 しかも用件はすべて関連。
 上の者に対する口の利き方がなっていないとか、鍛錬場にいた兵士を残らず伸してほぼ全員が医務室送りになったとか、策に口を出して侮辱したとか……。
 そして曹操軍切っての将軍夏侯惇の登場である。
 どうせまた余計な一言どころではない二三言を発したのだろう。

(胃が痛い…)

「出くわす度に隻眼だの盲夏侯だの口が悪すぎる!!
 どういう教育をしているのだ!」

 その情景がありありと想像できた。
 あの娘なら言う。
 躊躇いなく言う。
 むしろ連呼する。

(また、あの娘はっ)

 キリキリと胃が音を出しているようである。

「どう、と申されても…あやつは勝手に育った故。
 私にも何を考えているか皆目見当もつかない」

 その後夏侯惇は張遼に怒鳴るだけ怒鳴って部屋を出て行った。
 張遼は長い深いため息を吐き出し卓に突っ伏す。

「何を考えているのだ、……」

 夏侯惇が部屋に乗り込んできた事件を受け、張遼は数名の武将や軍師に同情されたとか。








 近頃城内でが色々……それはもう色々やっているという噂を耳にする。
 国の一番上の立場に着いたとはいえもちろん噂話は流れてくるわけで。
 護衛兵にしたのは曹操自身であるからに、問題になるならばそれ相応に対応をとらなければならない。


「何でございましょう」
「最近夏侯惇に突っかかっているとな?」

 曹操の言葉に一瞬きょとんとした顔になる
 しばし考える仕草をした後、

「…………ああ、はい。隻眼の将軍のことですか」

 と、夏侯惇が嫌う名を口にした。

「ふむ。その名をあやつは嫌っておろう」

 あの戦でこの娘に感じたものはただの思い過ごしではないはずだ。
 曹操は言外に理由を尋ねる。
 すると思っていた以上に彼女は饒舌だった。

「私がずっと隻眼って言ってれば他の人に被害が行かなくなると思いまして。
 自分の悪口と私が結ばれれば自然と私にしか目が行かなくなると思いませんか?
 あとはあれだけの腕ですし、すぐに死角にも慣れて今以上の力になると思うんですよね。
 逆に気配だけに頼った攻撃のほうが芯を捕らえられますし。
 そろそろ戦に出してあげてもいいんじゃないですか?賊討伐とか。
 手合わせの成果が少しくらいは出ると思うんですよね」
「ほぅ?」
「手合わせのとき死角ばかり狙って差し上げたので。
 なんだかんだで一番気にしているのは本人だけのようだとは思いませんか。
 外見に反して神経質なんですね、あの将軍」

 の言い分にクックと笑い出す曹操。
 これはなかなかどうして人を見抜く目を持っているらしい。
 確かにと夏侯惇が出会ってから他の将との衝突を聞いた覚えがない。
 しかも、会って間もないというのに彼の本質を見極めている。
 やはり、思った以上の娘だ。

「外見に反して神経質……か。
 さすがは儂が気に入っただけはあるわ」

 早速と曹操は脇に控えていた文官に最近荒れた地域がないかを調べさせる。
 帰ってきたときの夏侯惇の顔が見物だ、と目が語っていた。
 そして彼女の言い分を思い返し、思い当たることがあった。

「そなたのその口の悪さは元からか?」
「私の記憶が確かであるならば物心ついた時分からこのような口の利き方でした」
「それは張遼もさぞかし苦労したであろう」

 が曹操に目を向ければ、にやりと人の悪い顔を浮かべる乱世の奸雄。
 いつも表情が動かないが珍しく苦虫をつぶしたような顔になる。

「最近はすっかり武官文官問わず気遣われているらしいではないか」

 あくどい笑顔を絶やさずに曹操はの顔をじっと見る。
 彼女は口を開きかけ、言う言葉が見当たらないのかもごもご動かす。
 結局出てきたのはため息だった。

「……曹操様」
「はっはっは、本当にそなたは面白い奴よの!」
「お好きにおっしゃって下さいませ」

 声を出して大笑いする曹操に居心地を悪くしたのかは踵を返すとさっさと応接の間を出て行った。












数日後


……感謝する」
「何の話ですか?いきなり隻眼の将軍に言われると気持ち悪いです」

 開口一番礼を言った夏侯惇には眉をひそめて余計な一言二言を加え言い返す。
 ピキリ、と夏侯惇の眉間に青筋が立った。
 さらにそこで終わらないのがである。

「前から言おうと思っていたのですが眉間にしわがよると余計に老けて見えますよ。
 ただでさえ老け顔なのに」

 ぷつんと、簡単に彼の堪忍袋の緒は切れた。

「きっさま……!!今すぐ手合わせの用意をしろ!」
「これからですか?少しは休んだらどうです?もうお歳なんですし」
「っ、その減らず口、叩き直してくれるわ!」

 ぎゃあぎゃあと夏侯惇が一方的に騒ぎながら二人は鍛錬場へと連れ立って歩く。
 遠めで見ながら曹操はうぅむと唸った。

「のぅ、張遼」
「はっ」

 報告に来ていた張遼にくぃっと顎をしゃくって彼らを指す。

「あれはあやつの愛情表現か?」
「……さぁ、昔からあの娘の行動は図りかねます」
「ふぅむ……不器用な奴らよのぅ」

 激昂しながらも殺気を出さなくなった夏侯惇。
 普段と変わらす軽口をすらすらと述べながらもその瞳は穏やかな
 似たもの同士なのかはたまた…。

「いじくり甲斐があるわ」

 クック、と喉を鳴らす曹操はそれはそれは悪どい顔に見えたとか。





End...?








+++あとがき+++
惇兄でしたー。これはドリームか??(ぉぃ
大人な女性も合うと思うけれど、ちょっと破天荒な娘だって良いじゃないか!
というよく分からない主張をしておきます。

※バックブラウザ推奨





2007.12.22