夢話-夢小説の間-




特別な人







 珍しく早めに仕事が終わったリオンは真っ直ぐに屋敷に帰る途中だった。
 日の差し具合から見てもまだ3時くらいだろう。
 ふと、賑やかなバザールの方に見知った顔がいるのを見つけ、足を止めた。

「あれは……」

 メイド姿をした二人の女性。マリアンとだ。
 品物を手に取り、仲良く店の前で話している。おそらく買い物の最中だろう。
 傍から見ると中のよい姉妹のようだ。
 自然と顔がいつもより穏やかな表情を作っていることに気付かず、リオンは目を細めて彼女達を見ていた。

『行かないんですか?』
「シャル・・・」

 頭に響く声にリオンは我に返った。それからずっと自分がその場に立ち尽くしていたことに気付く。

「黙ってろ」

 いささか柔らかな口調で剣を小突いてリオンは足をバザールへ向けた。

 人々の活気溢れる声が行き来するバザール。
 それに今は時期柄とあって甘い匂いが漂っていた。

「やっぱりブランデーって入ってたほうがいいんでしょうかね?」

 両手に包みを持っては首を傾げる。
 悩んでいるのはチョコレート。今日はバレンタインなのだ。
 片方はブランデー入り、片方は普通のもの。が、どちらも高級そうである事に変わりはない。

「好みにも寄ると思うわ。ヒューゴ様はお好きのようだけど…」
「じゃあ決まりですね!これください」

 マリアンの答えには喜んでブランデー入りのチョコレートを購入した。

「ふふ、きっと驚くわね」
「じゃないと困りますよぉ!えっと、これがヒューゴ様で…」

 買ったばかりの綺麗に包装されたチョコレートを数個並べる。

「こっちがレンブラント様。で、こっちがいつも迷惑かけてる先輩方にで・・・」

 と、確認するようにひとつひとつ指差す。
 そんな様子をマリアンは微笑ましく眺めていた。

「リオンにはやっぱり手作りなの?」

 どきん、との心臓が跳ねる。

「な、何で知ってるんですか…?」

 上ずる声。見事に図星だった。

「女の勘、かしら?楽しみね」
「はい!リオン様、喜んでくれるかな…」

 えへへ、と自然に顔が綻ぶ。

「僕が何だって?」
「はにゃぁ!!!」

 聞き覚えのある声にはびっくぅ、と過敏な反応を見せる。
 バッと振り返るとそこにはの言うリオン様が立っていた。

「リ、リオン様!」
「リオン、お帰りなさい。早いのね」
「ああ」

 フワリと微笑みかけるマリアンにリオンは少し笑みを見せる。
 は時々見せる彼の笑顔がたまらなく好きだった。

「随分と熱心に話をしていたみたいだな。何の話だ?」

 リオンがを少し見て問う。
 彼は自分の名が出たもとを知りたいようだ。

「え、と。それは…」
「今夜の夕食のデザートの話よ」

 言葉を濁すに代わり、マリアンが助け舟を出してくれた。

「楽しみにしておいてね」
「ああ。そうしておく」

 マリアンの機転にホッとは胸を撫で下ろした。

(ありがとうございます、マリアンさん)

 心の中で手を合わせて祈る。
 バレンタインに関わらず、プレゼントと言うのは相手が知らないからこそ送る甲斐があると言うもの。
 特にはリオンにだけは知ってもらいたくなかったのだ。
 チョコの入った包みを抱えなおすと並んで屋敷に戻る二人の後を追った。







 夕食のデザート、リオンの前に出されたのはプリン。
 プリン、とはなんとも子供っぽいがリオンの大好物だった。

「今日はバレンタインだって知ってた?」

 ニコニコ笑いながらマリアンが紅茶を並べる。

「チョコレートよりも好きかと思って」
「マリアン……」

 そういえば、夕食の時も彼の苦手なニンジンとピーマンが入っていなかった。
 これも彼女のなりの心遣いなのだろう。
 リオンは出されたプリンを口に運ぶ。

「砂糖はジェノス産、卵はリーネ産よ?」
「……美味しい」

 どう?と問われてリオンは素直に答えた。

「よかった……。エミリオ、これからも頑張ってね」
「ああ。……ありがとう」

 他人には滅多に見せない笑顔でリオンは言った。
 それを遠くから見ていたは目を細めた。

(やっぱり、リオン様はマリアンさんが一番なのかな・・・)

 マリアンに向けられる彼の笑顔は本当に優しくて、大好きだ。
 それが自分に向けられたら、と思うこともある。
 だからと言ってマリアンが嫌いというわけではない。彼女のことも大好きだ。

(ちょっと傲慢すぎかな)

 苦笑してその場をそっと離れた。

「? どうかしたの、エミリオ?」

 ふと目が卓上から離れたのに気付き、マリアンが尋ねる。

「いや……なんでもない」

 首を振って答えるリオン。
 が部屋を出て行ったのを目の端で捕え、追っていたのだ。

(僕の気持ちに気付くはず、ないな・・・)

 マリアンに気付かれないように小さくため息をつき、リオンは紅茶を口にした。







 食事の後、リオンはヒューゴに呼ばれ彼の部屋へ向かった。
 戸を叩こうとしてリオンは上げた手を止めた。
 中に彼以外の誰かがいるのが気配で分かったからだ。

「ほぅ、これを私に?」
「はい!ダリルシェイドで一番のチョコレートの名店の品です」

 聞こえてきた声にピシリとリオンは固まった。
 一つはヒューゴ本人、続いて聞こえたのはの声。







「高かっただろう?」

 イスに腰をかけながらヒューゴは渡された小さな包みを観察する。
 包装紙はの言った通り、ダリルシェイドでどころか世界に名を馳せる名店のものだ。
 名店、といえばそれだけ値段は張る。
 メイド一人にそこまで高い給料を出している記憶はない。

「いえ、まぁ、確かに高かったですが……。
 ヒューゴ様のお口に合う物を、と思いまして」

 照れたような笑みを浮かべる彼女にヒューゴは笑いかける。

「ありがたく貰っておくとするよ」
「ありがとうございます!」

 はとても嬉しそうな笑顔で頭を下げた。
  コン コン
 ノックの音。はそれに顔を上げた。
 ヒューゴがドアの方を見た。

「リオンか?入りたまえ」
「はい」

 リオンの声が聞こえ、の心臓がどきんと音を立てる。
 静かにドアが開き、リオンが姿を現した。

「では、私は失礼します。どうぞリオン様」

 再び頭を下げ、はリオンのために場所を空けた。









(何なんだ、この不快感は)
 部屋に戻ったリオンは乱暴にイスに腰掛けた。

『どうしたんです、ぼっちゃん?』

 机の上に置いておいた剣――シャルティエから心配そうな声が飛んできた。

「さぁな」

 その不機嫌極まりない様子に声のほうは押し黙った。
 こういう時は触らぬ神に祟り無し、である。

(・・・あいつにはチョコを送って僕には無しか?)

 そう思った自分に驚く。

「チッ」

 不快感の訳もわかったところで控えめなノックがかかった。

「入れ」
「失礼します」

 声がかかり、部屋に入っては少し退いた。
 部屋の中の雰囲気がいつにも増して重い。

「あの、リオン様……」
「何だ」

 返ってきたのは不機嫌そうな声。
 思わずここから逃げ出したくなる。
 だがそうもいかない。
 渡さなければならない物がある。それも今日、日付が変わる前に絶対に。



「これを……。あの、今日、バレンタインデーなので…」

 がおずおずと皿を差し出す。
 綺麗な装飾の入っている皿に乗っているのは小さな、可愛いチョコレート。
 少々不恰好ではあるが、それは確かに手作りの物だった。

「これは・・・」
「チョコレート、です」

 見れば分かる。

「そういえば、ヒューゴ様にも渡していたな」

 言われてはドキッとした。

「お、遅くなってすみません。その……自分で作った物で…」
「お前が、か?」

 正直リオンは驚いた。
 屋敷でのの仕事はほとんど掃除、雑用だった。
 よって彼女の料理を食べた事はない。リオンはが料理できるのかさえも知らなかった。

「はい」

 コクリ、と頷く

「すみません、あの、人にあげる物を作るのは初めてで…」

 申し訳なさそうに頭を下げる
 初めて、という言葉にリオンが反応する。
 それはつまり、自分のためだけに作ってくれた物なのだ。
 ひたすらに恐縮する彼女をリオンは愛しく思った。いつの間にかあの不快感は消えていた。

「……人が食べれる物なのか?」

 いつもの調子で軽く皮肉った。

「え……?あ……」

 が顔を上げる前にその手に乗った皿からチョコレートを手に取り、口に入れる。
 口に入れた途端チョコが舌にとろけ甘味が広がる。

「お口に、合いますか?」
「まずくはないな」

 自分でも素直じゃないと分かる回答。
 それでもが嬉しそうな笑顔を見れてリオンは満足した。

「何で僕には手作りなんだ?」
「え……そ、それは…その、」

 尋ねられては言葉に詰まった。
 アメジストの瞳が自分に注がれているのがわかる。
 言って良いのだろうか?
 身分の違いはよく分かっていた。

「言え」

 悩んでいるの頭の中を見透かしたような声がかかる。
 は唇を噛んで顔を上げた。

「あ、あたしの特別な人が、その……」

 顔が熱い。きっとトマトよりも真っ赤になっているだろう。
 はあまりの恥ずかしさに俯いた。

「…………リオン様だからです」

 声が擦れた。
 心臓がまるで耳の傍にあるように大きな音を立てている。

(い、言っちゃった……)

 実際はほんの数秒、一瞬のことだったかもしれない。
 だが、にとって永遠とも思われる長い沈黙だった。

「……奇遇だな」

 ハッと顔を上げるとすぐ傍にリオンの顔があった。

「僕も、僕の特別な者も、お前だ」

 すっと、は暖かさを感じた。リオンに抱きしめられている。

(これは・・・自惚れちゃっていいんですか?)

「リオン、様…」
「……エミリオ、だ」

 ぽつり、と耳元で呟かれる。

「そう呼べ。敬語も無しだ」

 言って、彼はから離れた。

「わかったな?」

 柔らかい笑顔。彼の中で一番好きな笑顔が自分に向けられている。

「はい!」

 首を大きく縦に動かし、も笑顔で言った。

「馬鹿が、それを敬語と言うんだ」
「あ…、さすがにいきなりはちょっと……」

 苦笑したリオンに、こつん、と小突かれ、は照れた笑いを見せた。

「でも頑張りま…あ゛、が、頑張る!」
「大丈夫か?」

 吹き出すリオン。それにつられても吹き出した。
 部屋では使われて初めてだっただろう明るい笑い声が響いた。
『……バカップル…』
 卓上から見ていた一振りの剣が呟いた言葉は誰に聞かれることなく宙に溶けた。







 fin.














+++あとがき+++
何年か前に書いたバレンタインデー物です♪
初々しいナァ……(悦

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2007.02.13