クリスマスの贈り物
突如目の前に現れた男。
それはまるで中国映画に出てくるような幾重にも重ねられた白の衣を着て、冠なんて立派なものを頭に載せていた。
私を凝視する瞳は真っ直ぐで、呆けたように開いた口周りの髭はセンスがいい形をしている。
湯煙と合い俟ったその姿はまるで仙人のようだった。
が。
「いつまで人の身体じろじろ見てんのよッ」
ここは間違いなく私の家の浴槽であり、明らかに男は不自然である。
私の言葉に男は初めて我に返ったようだった。
でも、今の状況に混乱しているよう。
とりあえずやることは、ひとつ。
ガッ、と桶を掴む。
背中のほうに持っていき……そこから全力で野郎の顔面に向かって放った。
カッコーン
うん、我ながらいい音である。
「ふぅん、あんたがあの有名な諸葛孔明ねぇ……」
パジャマに着替え、頭を拭きながら私はソファに寝かせた男を見やる。
何も桶一発でここまでダメージを受けなくても、と思う。
ま、変に武将さんが出てきて桶割られるよりはマシだけど。
「信じなくても構いませんよ。
私も今この状況が信じられませんからね」
桶がクリーンヒットした箇所に乗せてあげたタオルを上げながら彼は言う。
「あ、そ。
そんなことより謝罪はないの、謝罪は?」
「申し訳ありませんでした」
「うわー、心こもってねぇー」
まったく。やれやれだ。
ため息を腹の底から吐き出す私。
諸葛はゆっくりと起き上がると服を正した。
「ではお邪魔しました」
現れた姿のまま出て行こうとする彼を、ちょっと待て、と止める。
そのまま外に出たなら、まず間違いなく捕まるだろうし、ニュースになるだろうし、そうなったらそうなったで私の居心地が悪い。
私の決意は即座に固まった。
「あんた、行く宛てあるの?
仮にも稀代の天才だとして、1800年後の世界で生きていける?
まぁ、戸籍も持たないあんたじゃこの国では生きていけないと思うけど」
「ならこの国を出るまで」
「あーはは、やっぱり……」
カラ笑いしか出ませんよ、奥さん。
昔の人の発想だからそうなんだろうけど。
身体を半分こちらに向けている彼はいぶかしげに私を見ている。
「何がおかしいのです?」
「世界はね、1800年の間にまとまりつつあるの。
国にいるのも、国を出るのも許可が必要。誰の許可って、もちろん国家のよ。
ついでに言うとこの国は島国。
なんにしろ、先立つものも持ってないんじゃないの?
働くにしてもあんた戸籍ないしねー」
「……」
事実を色々叩きつけてやると、もちろん彼は無口になった。
「ふふ、意地悪言ってごめんねー。こういう性格なの。
要はここにいなよってこと」
「は?」
きょとんとした顔が結構受ける。
こみ上げてくる笑いを抑え切れなかった。
「あははっ、あんた本当におもしろい!
ここ、私の一人暮らしだから気にしないで。
あ、でもゴミ捨てとか、炊事洗濯などなどはやってもらうから」
「女の一人暮らしに男を入れるほうが不味いのでは?」
「え?何?あんた奥さんいたんでしょ?」
「一夫多妻制の時代ですが?」
「そぉう?」
頭のてっぺんからつま先までじとーっと眺める。
目は真っ直ぐ人を見るし、そこまで飢えてるように見えないし。
何よりさっきの言葉は牽制にしか聞こえない。
「そこまで性欲の塊のように見えないし、私が宿主なんだからそれくらいは我慢なさいよ」
「……品のない方ですね」
「したたかと言え、したたかと」
ずびし、と指差すと口元を羽根で出来た扇子で覆ってぼそりと何か言いやがった。
その文句に反論して私は意味もなくえばった。
「ふむ、だけどその前にひとつ条件」
私の言葉に諸葛は首を捻る。
「何でしょう?」
「髭剃れ」
「は?」
笑顔で言い放った言葉を真っ正直に聞き入れ、彼は顔の周りにクエスチョンマークを飛ばした。
しゃきーんと、洗面所から持ってきたかみそりを構える。
「問答無用!!」
「やるなら自分でやれます」
「大丈夫大丈夫、現代の科学を甘く見るなっ!
四枚刃でたとえ襲われても肌は切れてなーい、が売りだから」
「意味が分かりません!
ちょ、ぶはっ何するんですか!放してもらえます!?」
「ほらほら、動くと口に石鹸はいるよー」
「『せっけん』とは何ですか……って、言ってる傍から入ってます!」
「石鹸とは手を清潔に保つために開発された人体用の洗剤のことでーす。
ちなみに口に入ると有害な物質で出来てるから」
「んなっ!」
どったんばったんと、それはもう近所迷惑なくらいに騒ぐ私と諸葛。
がっと、諸葛を羽交い絞めにして床に押し倒す。
うん、こう表現すると私って男らしー。
とにかく水をぶっ掛けて、泡立てた石鹸を髭に塗ってあげて、かみそりで剃りあげる。
たったこれだけのことなのに十数分格闘してしまった……。
ちなみに、騒ぎすぎてこの後本当に大家さんに怒られた。
「……貴女も、大概乱暴な人ですね……っ」
ぜーはーと荒い息をつきながら諸葛は私をにらみ上げてくる。
にしても、二十数歳の私に押さえつけられるなんて、柔な体してるわねー。
さっさと退きなさいと吐かれた言葉に従ってよっせ、と立ち上がる。
深い深いため息をつきながら起き上がった諸葛をまじまじと観察してみた。
整った顔立ちは変わらないけれど、髭がなくなったことによってそれが一層際立つ。
とりあえず、切れてなーいが売りのかみそりで傷でもつけなくてよかった。
「うん。素でカッコイイ。ちょっとむかつく」
「好き勝手やっておいて失礼ですね」
さて、次は服だな。
女物を着せようかとも思ったけど、流石にアレだけ遊んでおいてそれはかわいそうかなと思う。
ああ、そういえば。
「今度は何なんです?」
「あんたの服よ、服。」
タンスをあさり始めた私を奴は不審者のような目で見る。
全く、レディー(爆笑)に対して失礼な。
下着、ジーパン、シャツ……。
残念ながら靴と上着がない。いや、残ってなくていいんだけどさ。
と、また思い出して綺麗に包装されて端に追いやられた袋を見る。
………………………。
開け放てばそこにはつい一週間くらい前に買った男物のジャケット。
「ちっ、ここまでそろってるとヤな気分」
「女性が舌打ちなんてするものではありませんよ。
貴女に言っても無駄でしょうが」
嫌味がこもった言葉だな、おい。
まぁそれなりのことはしたしな、うん。
そういえば、靴も何だかんだぼろめのが残っていた気がする。
「……あんた、結構至れり尽くせりだよ」
「この状況のどこがどう至れり尽くせりなのか詳細説明を願いたいですね」
「んー、まず、一人暮らしの女と同棲できること。
次に服は既にそろっていること。
更に、本日のご飯はこの私が作ってあげるということ。
でもって最後に、とぉっても理解力のある私の住まいに現れたことかしら」
指を一本ずつ立てながら、ふふん、と笑ってやる。
が、なんかすっげぇ嫌な顔されたぞ。
「まぁ、現状を見る限りでは貴女に従ったほうが良さそうですね。
不本意ながら」
「あんた、一言多いよ」
ま、いいけど。
「貴女の名は?」
「あれ?まだ名乗ってなかったっけ?
私は。様とか殿とか敬称は要らないから」
「ご安心を。つける気はありませんので」
冗談だよ、冗談。シャレのわからないやつだなー。
「あんた、可愛くないわねー」
「可愛いといわれて喜ぶ男がどこにいるんです」
「喜びなさい。褒め言葉なんだから」
「遠慮しておきましょう」
ぽんぽんと返って来る返答に思わず笑った。
頭の回転が速いのか、それともひとつひとつ返答しないときがすまない性質なのか。
どっちにしろ、楽しい。
「ふふ、あんたやっぱり面白い」
やっぱり人間コミュニケーションだよね。
いつの間にかさっきまでの鬱気分、どっかいっちゃったわ。
「さてと、じゃ、ご飯にしましょ」
今日の夕飯はお好み焼き。今は素が売ってるから手軽なんだよねー。
キャベツとたまねぎとねぎを洗って適当に切って、水よーい。
そういえば豚バラも買ったんだっけ……切るか。
で、卵突っ込んで、水入れて素入れて。
あ、コーンとあげ玉ないわ……ま、いっか。
ホットプレートを出して、油用意。
「何を作る気ですか?」
テーブルの上にあるボールの中に近づいて諸葛が言う。
諸葛にとっては得体の知れないモノらしい。
いろいろ混ざった物体を奴は不安そうに見る。
「変な顔しないでよ。食べ物よ、食べ物」
焼いたら美味しいんだから。たぶん。
ホットプレートもういいかなー……。
一人用だからたいした大きさじゃないホットプレートの上にちっこいお好み焼きを4つ作る。
「さて、と」
茶碗に炊いておいたご飯をよそい、橋を出して……小皿は要らないよね。
あとはソースと青海苔とマヨネーズ用意っと。
「ほら、そこ座って」
「これは何をするものなのですか?」
勧めた椅子に座りながら諸葛は聞いてきた。
「は?」
思わず疑問符。
これって……ホットプレートのこと?
そ、そっか。1800年も前にホットプレートなんて存在しないもんね。
「えっとー、なんて言うんだろ。乗っけたものを焼いてくれる便利なもの」
「どういった原理なのです?」
うーん……、そんなこと聞かれてもなぁ。
言葉を考えながら、お好み焼きをていっとひっくり返すといい感じに焼けていた。
「えっとね、まず現代のエネルギー……じゃ、だめだな、火力?うーん、物を動かす力って、電気なのよ。雷とかのあれね。
電気を人工的に起こして、各家庭に供給してるわけ。ここまでいい?」
「ほぅ」
諸葛の目が好奇心満載な子供のような目をしてる。
そりゃそうか。
「で、その電気でもって焼く力を持つ仕掛けを作ってるの。
同じような原理で明かりも点くし、電気じゃないけどガスって奴で火も起こせるし、水も水道管が整備されてるから届くの」
「便利なのですね……」
「便利なのですよ」
お、焼けたかな。
ホットプレートを保温状態にして、ソースと青海苔をかける。
「諸葛、ご飯のお茶碗頂戴」
「どうぞ」
受け取って、乗っけてやる。
「熱いから気をつけるように」
そう言って返却。
私も自分の茶碗に乗っける。
「じゃ、いただきまーす」
「いただき、ます?」
「ご飯を食べるときの合図でーす」
まるで、子供が出来たみたいだな〜。
……決してそんな歳ではないけどね、お互い。
諸葛も、いただきます、と小さく呟いて箸を動かし始める。
「……美味しいですね」
「へ?」
思わず視線を諸葛へ持ってく。
今、美味しいって……言った?
私の視線に気づかず黙々と箸を動かす諸葛。
いや、気づいていても敢えて無視なのか?
でも、なんだかあったかい気持ちがこみ上げてきて私はにんまり笑っていた。
「……えへへ、ありがと」
手料理を――というにはおこがましいくらい簡素なお好み焼きだけど――誰かに食べてもらって、美味しいって言われたの、初めてかもしれない。素直に嬉しい。
結局お好み焼きの素は残っちゃったけど、それは冷蔵庫にしまっておく。ついでに冷蔵庫の存在についても諸葛に説明しておいた。そしてもっとついでに食器洗いをやってもらった。
水道にびびる諸葛はなかなかに面白かったとだけ書いて置けば満足。
「さて、と。諸葛の寝る場所そこだから」
そこ、と指差したのは先ほどまで諸葛が寝ていたソファ。
実は簡易式のベッドにもなる優れものなのだ。
ベッドはベッドで別に買ってあるけどね。
「いいのですか?このような上等な場所で」
はい?
私は諸葛を見てソファを見た。
…………ええっと、ソファって上等なのか?
まぁ昔に比べたらソファなんて軟らかいものなかったよね。
これがジェネレーションギャップって奴か……ジェネレーションの幅が半端ねぇよ。
「私は私で寝るところちゃんとあるもの。
そこの部屋、私の部屋ね、夜這い意外なら大歓迎」
「ご安心を入る気は毛頭ありません」
「あらそ?」
くすくすと笑って私は部屋のドアを開ける。
「また明日。おやすみなさい」
こんなに穏やかに誰かにおやすみなさいを言ったのも、久しぶりな気がした。
小さく返してくれる声があって、やっぱりそれが嬉しかった。
何だか分からず乱入してきた変な男だけど、数時間にして私の心にぽっかり開いていた穴を埋めるスゴ技を持っていたらしい。
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